4月例会報告

PTA学習講座
共に子どもを育てるために
―親も教師もひとりで悩まないで―

◆皆さんは、子育て中の不安を誰に話しましたか?

―子どもが小さかった時は、夫しか話せる人がいなかった。

―私は同じ年頃の子どもを持つ人たち。夫は殆ど帰ってこないし。一日中公園にいた。

―私は、家庭文庫の友だち。

 私は、子どもが2才・0才の時に松戸へ越して来た。越して来てまもなく公園へ毎日行きはじめた。それと「婦人の友」の愛読者で作る友の会に入っていたから、そこは異年齢の縦の関係もあって、幅広いから、育児の悩みだとかいろいろ話せる場になった。わが子を通わせた幼稚園は、学びの場としてのPTAがあった。幼稚園は選んで行くことができるけれど、小学校に入ってみると、自分の意志で本当に入れたいと思って行かせている人ばかりではない。地域の人たちが集まっていく場として、幼稚園とは環境がすごく変わった。その中で学校のPTAは作られていくのだけれど、そこで子どもの話ができたかどうか、それが大きな鍵になったと思う。

◆皆さんの小学校PTAは、子どもや地域に何かあった時や、社会的な事件が起きた時に話せる場でしたか。

―私は、最初はPTA以外の場でした。私がこんなに悩んでいるのに、なぜPTAがそういう悩みと関わりなくあるのかなと思った。今でも中学校のPTAで親の悩みとかけ離れたところで活動していると強く感じる。PTA以外の場を自分で作って行くしかないのかと最初は思っていた。

―委員になればわりと話ができたけど、何ヶ月かに一度の懇談会で話すというのはなかなかできない。

 私は、初めて入った学校で、気楽に話す機会のいっぱいあるPTAに出会えたというのは幸せだった。懇談会という場がたくさんあって、そういう土壌がもうできていた。懇談会や研修会に参加すると、自分の人間関係がとても広がり、同じ学年の人だけではなく、上の学年の人とも話せて、子どものちょっと先も見えてきて、安心感が持てた。なぜあの学校で話ができたのかと考えてみると、上の学年の子どもを持つお母さんたちが学級懇談会でざっくばらんに話してくれた。そういうのを見て初めて入った私も、ここでそういう話ができるんだと感じた。だから話ができるPTAになったのだと思う。まず一番小さな集まりである学級PTAで親同士が本音で話ができることが今とても求められているし、そこからいろんなことが進んで行くのだと思う。

中学校に進んだら、なかなか懇談の場がなかった。でも少ない懇談会の中で本音で話すことを積み重ねて行くと、話し合うことがとても大切ということが皆にわかっていくと思う。

 痛ましい事件があるたびに、あの学校のPTAはどうなっているのかと思ってしまう。やはり子どものことが何も語られないのは、今の大きな問題の一つだと思う。ではそれをどう取り戻すか、委員になって委員会では話し合えるというそこが第一歩だと思う。

 中学校PTAの学年学級委員会の活動として、委員と先生との交流を図るというのがあげられていた。私が委員になった時に、「先生と父母の交流会を作るのが学年学級委員の仕事と思う」と言ったら、他の委員の人たちもそうだよねということになって、学級懇談を行うというのを活動計画の中にあげることにした。こういうことに反対の声をあげる人はいない。委員にならなかった中学校の2年間は、クラスにどういう子どもがいるのかということもわからないし、子どもも学校のことを話さなくなるので、学級・学校で何が起きているのか親には見えてこない。なんか変だなと思っても、それを聞くすべもなかった。

◆PTAの中で大人同士の人間関係をきちっと作れていない。 

 今、子どもたちが、人づきあいが下手だといわれている。わが子が小学校の時の懇談会でも先生に言われたけれど、「友だち同士どうやって遊んでいいかわからない。遊ぼうと声をかけるんだよということから教えなければならない」と。でも大人同士もそうなんだと思う。「PTAでなかなか話せないんだよね」というような状況を乗りきって、頑張って、大人同士の人間関係をきちっと作るということができてない。子どもって口で言うのではなくて、親に信頼できる友だちがたくさんできたという姿を見ている。

 学級懇談会の時、学校ではない場所でお茶などを用意して、「自己紹介を兼ねてお子さんがどんなお子さんか、お子さんの良いところを一つ教えてください。一言ずつで結構ですから」と言うと、どんなお母さんでも話をされる。そんな話の中から、「うちの子は全然勉強しない」とか、親の愚痴かもしれないけれど、そんな愚痴の中から親の本音もちらちら出てくるようになる。

 中学校では年に一回しか懇談会が開けなかった。年に一回開いたからといって、それで大人同士の信頼関係ができましたというわけにはいかない。あれがうまく積み重なっていってくれるとよいなと思う。

とても印象に残っている学級懇談会というのが2回位あるのだけれど、小学校中学年の時の懇談会で、「高額のお金を持って遊ぶ子どもがいるけれど、うちの子にはそんなにおこづかいを渡していないからとても困る」という話題が出たことがある。そこでよく話してみると、お母さんが仕事をしていて買い物をする時間がないから、夕飯の買い物などをその子に頼んでいる。そのお金も一緒に預かっているということがわかった。たまたまそのお金で友だちにお菓子をご馳走したりすることがあって、ご馳走された友だちのお母さんにしてみれば、ちょっと不安になったりするけれど、懇談会でその子が育つ家庭環境を皆で理解しあって、「じゃあ、ずいぶんしっかりした子なんだね」と、そんな見方ができるようになった。

 いろんな子どもをとりまく状況を的確につかんでおくというのは、そして、解決への道を皆で探るということは、それが直ちに解決できなくても大切なことだと思う。

学級懇談もうまくいくばかりではなくて、いろんなケースがあると思う。それは仕方がないけれど、できる努力だけはしていきたい。

―先生の方も、本音をしゃべると親に攻撃されるのではと危機感を持っている。信頼関係ができるとうまくいくのだけれど。

―先生がせっかく本音を見せて、「こういうところがうまくいかない」とか、「どうしたらいいんでしょうね」とか言った時に、「頼りない先生。もっとちゃんと指導してくれなくては」という親の反応が来てしまったら、先生は本音を出せないだろうと思う。

◆地域社会とか子どもとかとても変わってきているのに、PTAって全然変わっていない。

―もっとあっけらかんとなればいいのにと思う。子どもが学校に入ったら仕事を始めようと思うお母さんたちが増えてきている。

―PTAもその活動の時間など、考えていかなくてはならない。今まで通りやっていればいいという時代ではない。

―あるPTAでは、仕事をしている人が参加しやすいように、土曜日に定例会議を開く委員会を設定しておく。今まではだいたい校外委員会と学年委員会がそうだった。あらかじめそのように設定しておくと、委員に立候補する人が多くなる。

―委員会はいろいろ考えて対応できるけれど、運営委員会や常任委員会、全体で集まる会議の時間の設定が旧態然としている。

―仕事をしている人にとっては、むしろPTAは必要だものね。

◆親同士が知り合う場ということだけでも、PTAの存在価値がある。

 小学校PTAでは、地区委員会が地区懇談会をしている。学級懇談とは違って、地域のお母さんたちの集まりだから、それこそお茶飲みの延長という感覚。そこに先生は入らなかったけれど、先生も参加すると良かったわね。

―地区懇談会は、学年の違う地域のお母さんたちとも会えるし、今まで知らなかった地域の人たちとのつながりができていい。私の地域では、地区委員を地区から選出するのが困難になったので、クラス選出の校外委員会へ変えてしまった。その時は気がつかなかったけれど、困難でも地区選出にしておけば良かったなと思う。困難でも選ばなければということで、わずかでも地域のつながりが持てていたと思う。クラス選出にしたことで、ますます地域のつながりが希薄になってしまった。困難だからといって、変えてしまうのは良くない。

―地区委員は、順番でやるものだから仕方がないという認識を皆持っていると思う。

―地区委員を選ぶためだけでも一度は顔を合わさなければならない。そういう形でも皆が集まる機会はあったほうがいい。

―顔を合わす機会をどんどん削ってしまうことが、つながりを希薄にしてしまう。

―中学校では、PTAの委員にでもならない限り親同士が知り合う機会がなかなかない。それに、他の場では絶対に知り合うことのない人と知り合うことができる。親同士が知り合う場ということだけでも、PTAの存在価値がある。

―自分が学びたいと思って、いろいろな場に参加する人は多いのだけれど、ではなぜPTAでそういう場にならないのかなあと思ったのだが、PTAは自分たちで企画して、お膳立てしてやらなければならない。設定されたものには自分の都合が合えば参加するけど…。

―企画したことのない人は、講演会ひとつやろうというのはとても大変そうに思える。やってみたらそうでもないというのが分かるのだけれど、未経験の人はとても臆病になる。慎重な人が多い。

―でも、自分自身がそういうことが平気になってきたのは、先輩にいろいろ教わりながらPTAの中でいろいろやって来たから。PTAの中で学んできた。身構えることないのよね。

◆自分が思っていることをきちっと話せる人って格好いいな。 

 小学校PTAの広報紙を未だに捨てられないでいる。総会についての記事も出てるけど、これ見ていると改めて総会の様子がすごく伝わってくる。本当に活発に意見交換されてたなあと思う。私が初めて総会に出席した頃、自分が思っていることをきちっと話せる人って格好いいなと思った。一番印象に残っているのが、日の丸・君が代について話し合われた総会。総会の時は子どもたちのとても素敵な絵が飾ってあったけれど、卒業式の時にもこのまま維持していただけるのですかという質問があった。年度始めの総会で。総会についての広報の中に参加者の声というのも載っているのだが、「自分の意見は発表しなかったが、違う意見でも頷けることが多かった」「考えないといけないと考えさせられた」というような言葉が出てきている。総会での他の人の発言を聞いて初めて気がつくということもあるし。

◆子どものことを話し合えるPTAに

―お金の使い方などで言いたいこといっぱいあるけど、まずはPTAの活動を充実させることを優先させる。活動が活発になって充実していけば、自ずと会員の中からお金の使い方などを疑問視する意見も出てくると思う。

―まず委員会の中で子どもの話ができるようにする。それがスタート。そして学級の中でも話ができるようになればいいですね。

―PTAで話せる場が少しずつできてきて、こんなことも話せるんだという積み重ねでPTAが少しずつ変わってきた。

―それが自然な形ね。

―次に続いてくる人たちにPTAの理念を伝えていくことの難しさと大変さ。なぜPTAで学習していかなくてはならないかというその理念が抜け落ちてくると、学習することが面倒なことに思えてきてしまう。変える時は会員皆で考えて変えていかないと、またすぐに戻ってしまう。

―子どものことをいろいろ考えたいなと思っている人や、仲間がほしいと思っている人は確実にいるのだから…。

(まとめ:浅井ゆき)