11月例会報告
松戸の"学校”
―教育委員長内藤昭一さんを囲んでPart2―
11月23日、祭日の午後にもかかわらず親や教師が集まり、活気にあふれた一時でした。そして、参加者の話をじっとうなずきながら聞いてくださる内藤さんのお人柄にあたたかいものが感じられました。
内藤(参加者の皆さんに)どんな学校であってほしいか一言ずつ。
P. 人間ていいなあ、あたたかいなあと感じられ、将来に向けて夢や希望を描ける
場であってほしい。
T. 自分の子どもを通わせたいと思える学校にしたい。
T. 自分たちのことは自分たちで考え、話し合って、少しずつでも変えていけると
実感できる学校。そこで子どもはいきいきし、大人になった時に地域社会や国
を変革していける人間が育つと思う。
T. 行き場のない卒業生が遊びに来た時、あたたかく迎えてやれる学校。中・高生が放課後過ごせる場が地域の中にはほとんどない。
内藤 公的立場でなく、一市民として一緒に考えたいと思います。小・中学校の現場経験がないので、もう少し具体的に学校が楽しくないということを聞かせてほしい。
P. 授業を終えることで、子どもも先生も何か一つ前へ進んでいると感じられるようであってほしい。授業が楽しくないように思う。
P. 子どもの多様化の中で、一斉授業に限界があるように感じる。
P. わが子を通して、まず小学校一年生から学習量の多さについていくのが大変で、子ども自身ができなければダメと思い込み、どんどん自信をなくしていき苦しかった。そして、中3時代、受験のプレッシャーは親の想像以上のものでした。部活も含め、学校生活全てが内申の評価につながり、教師と子どもだけでなく、子ども同士の人間関係も歪めていると感じた。娘は部活をやめる時、そのことでとても苦しみました。先生と子どもそして親との間に何か大きな意識のズレがあると感じた。
T. 子どもは本質的には変わってないが、人と力を合わせて何かをやるということが不得手になっていると思う。
松戸では、子どもの数が急激に増えた時期に、教師も大量に入り、その人たちが今50代前後になっている。私も若い頃は、理屈抜きに子どもたちと遊び、日常的に一緒にいたが、年令とともに家庭を持ち、物理的にも無理になってくる。そんなところからも感覚的に子どもとズレてしまう。小学校低学年から感じる。それが高学年になると、クラスのリーダー的子どもに何かのきっかけで反発されると手のつけられない状況になってしまう。子どもは一対一では話もできるが、集団の中では教師よりリーダーの子に従ってしまう。高齢の教師の良さもあるが、マイナス面も大きい。
P. 普通の社会のように、いろんな年代の人がいてほしいですね。
内藤 教師の高齢化は大きな問題だと思います。政治の問題で、予算の制約もあるが、少しずつでも改善していかなければと思います。森総理も教育改革を掲げているので期待したいですね。
P. 自治体独自で取り組んでいるところもありますね。
内藤 そういう自治体が増えれば、国も動かざるを得ないでしょう。
T. 子どもたちが身体をぶつけ合って遊ぶ体験が乏しい。遊びの中でもめごとを解決していく力が育っていく。
T. 現在の25人の学級を持っているが、さまざまな環境で育った子どもたちを40人では指導しきれない。集団で楽しく生活する為の規律を守れず、ゆっくり話し合える環境づくりのためにも、一クラスの人数を減らしてほしいと思う。
T. 第7次教職員定数改善計画で、子どもを習熟度別に分けて指導するという条件つきで、教員を増やすという方向で話が進んでいますが、これは問題だと思う。小学校低学年で国語・算数、中学校では国語・数学・英語に限り、習熟度別に授業をするために教員を増やすというもので、全国で4500人、県で約100人という予算で、希望する学校は申し出るようにということになっている。日本の学校は欧米と違い、学校教育で人格形成をめざしています。習熟度別は効率はいいと思うが、子ども同士が学びあう場を取り上げてしまう。水泳の授業では、スイミングに行っている子と行ってない子がいるが、子ども同士が教え合い、教える子もどうしたらわかりやすく教えてあげられるか学び合い、子どもたちの人間関係が太くなる。
内藤 先生や親の本音を聞けてとても勉強になりました。
フランスでは、学校は知育、放課後の子どもは社会保障、しつけは家庭と役割分担がはっきりしています。日本では全て学校に任されているが、少しずつ変わろうとしています。集団の中でどのように生活するか、その基本的なルールを教えなければ授業が成り立たないという現実があります。親は本来自分達が果すべきことを先生に委ねているという自覚を持ってもらいたいと思います。
子どもの教育を親や地域の人に責任分担してもらうというシステム作りも学校評議員制度という形で進められています。年間の学事計画を三者(学校・親・地域)で決め、年度末にその報告をし、反省を次に活かす。そして努力したところを第三者機関が評価できるシステムを作る必要があります。
それから連携ということで、幼稚園、小中学校、高等教育機関それぞれの間の連携をとるシステム作り、それに危機管理という面でカウンセラーの配置等。これだけ批判されている学校教育に、国はもっと人とものとお金をかけてほしいですね。
……この後、中学校の部活や制服のことなど、話は尽きませんでした。時間の都合で打ち切らせていただきました。また、例会のテーマに取り上げ、話す機会を作っていきたいと思います。 (まとめ:保浦喜代美)
11月例会『松戸の“学校“』に参加して
「どんな子でも楽しく通える学校、人とのかかわりが学べる場であれば…。」
「図書館が充実した学校であったらいいなあ。」
「人間っていいなあ、あったかいなあ(という実感が子どもたちが持てれば)、人間らしく育つ環境であってほしいわあ。」
「わが子も通わせたいような学校にしたいなあと思っています。」
「卒業生が母校に来た時、あたたかく迎えられる学校でありたいなあ。」
「どんな小さなことでも自分たちで解決できるような学校(学級)にしたいです。」
「子どもたちがいきいきと、楽しく通える学校にしてほしいです。」
「もう少し子どもたちにとって、居心地のよい場所であってほしい。」
はじめに参加者から自己紹介を含めて、こんな学校にしてほしいという願いや要望を語り合いました。この願いや要望のような学校であれば、いま、子どもたちはこんなに苦しむ必要はないとつくづく感じました。
内藤教育委員長さんからは、学校を楽しくしていない原因や状況をもっと詳しく知りたいし、それを明らかにしていくことが大事ではないかという問題提起がありました。以後、学校での子どもたちの状況や現在の教育政策についての話(ほぼ以下の内容のもの)が参加者から出されました。
● 学級崩壊的な状況について
● 子ども同士の人間関係について
● 受験事務などによる中学校教員の多忙化について
● 1学級あたりの児童生徒数について
● 子どもの遊びの世界について
● 習熟度別クラス編成の是非について
● 部活動のあり方について
● 中学校の制服など、学校の指定品目について
こうした話を聞きながら、内藤さんは人やモノを注ぎ込まない改革などはなく、本当にお金をかけて、人とモノを配置すべきことを強調され、これからの学校経営は学校長のワンマンショーではなく、地域の人たちが持っている教育力をいかす学校経営のシステムに変えていく必要があると語りました。
参加して、いまの上からの教育改革はやはり、効率重視、企業の人材育成のための改革であるため、さまざまな歪みが出ていることを改めて感じました。また、内藤さんがおっしゃっているように、21世紀の学校は学校長が都合のいい時に都合のいい人に意見を聴く程度の“学校評議員制度”(場当たり的な“1000箇所教育見に集会゛)ではなく、地域の人の教育権(=国民の教育権)が本当の意味で生きるシステムを作っていく必要があり、そのとき、はじめて「地域の学校」の内実がつくり出せると思いました。
あと、何時間も話し合えるような大変面白い例会でした。 (嶋村)
この例会がミニ教育集会だったら…
浅井ゆき
内藤さんのお話の中で特に印象に残っているのは、「システムをもう一歩進めて、学校の経営形態を変える必要がある。うたい文句の三者連携ということではなく、父母もOBも地域の人間も入り、もっと責任を分かち合って学校の経営にあたる。今後の学校経営には、情報公開・説明責任・第三者評価・危機管理という視点が重要になってくる。」というところ。そして、何よりも強く頷いてしまったのは、「人とモノとお金をつぎ込まない教育改革はない」という発言です。
内藤さんの一市民としての学校教育への問題意識は非常に鋭く、また、今の学校や子どもたちをとりまく状況を的確に捉えておられ、こういう方を教育委員長に持つことを市民としてとても嬉しくなりました。ただ、内藤さんおひとりの力で教育行政を変えていくことはできません。変えていくのは私たち市民一人一人の力の集まりです。
例会の参加者の中でも、例えば習熟度別クラス編成については大きく意見が分かれました。このテーマ1つで例会がもてるほど、検討すべきことがたくさんあります。身近な問題から一つ一つ、市民の中で合意を作っていくことが大事だと思いました。
この例会の数日前に、わが子の通う中学校で地域ミニ教育集会が開催されました。初めての試みということもあって、通常の保護者会とほぼ同じ形態で、そこに地域の人たちが保護者と一緒に参加するという形でした。いつもと違うのは、「今日の授業参観でご覧になった、授業の感想やご意見がありましたら、どうぞ」という質問で始まった意見交換の場(たんなる質疑応答という形でしたが)が設けられていたことです。私は、「先生方が多忙で、教材研究の時間も確保できないのではないでしょうか。先生方の数を増やしてほしいという要望を学校が出されているのなら、地域の人間としてもぜひ支援したいと思っています」と言いましたが、満足できる答えは返ってきませんでした。学校のいま抱えている問題は、学校だけで解決できる問題ではなく、そうした問題が提起された時に、この学校単位のミニ集会では答えきれるものではありません。「そうですね。一緒に行政に要望しましょう」というような答えが返ってくるのなら別ですが。ミニ集会は単なる質疑応答のような形で終わってしまい、一体何の意味があるのだろうと首を傾げてしまいます。でも、今後継続して開催していくようなので、会を重ねる毎に、もっと方法を考えてほしいと思います。
11月例会のような話し合いが、地域の学校のミニ集会でも行われたら、ずいぶん学校は変わっていくでしょう。内藤さんもおっしゃっていたように、うたい文句ではない学校・地域・父母の三者連携を実現したいものです。