日々雑感(2000年2月〜2001年4月)



2001年
4月21日
何と前回書きこんでから、4ヶ月も過ぎてしまった。
もしこのコーナーを見ている人がいたら、何とコイツはサボりつづけていることかと思われてしまう!
新年早々のウィルス騒動や、膝の関節痛の悪化などと、いろいろ言い訳はありますが…。
トップページが大幅にデザイン変更したのは、我が家の末娘。
『お母さんのHPは味気ない。もっと絵を入れよう!』などと言いながら、カシャカシャ。
不登校中の末娘は、日々パソコンに向かいその技術を向上させている。一年位前に、私が教え込んだのに、とうに私を通り過ぎていってしまった。
少しは日にあたってほしいんだけどね。
今日は、上の娘たちがドッグショーへ連れて行った。
12月26日 2000年も残り少なくなってきました。
本当はこの時間台所の掃除をしようと思っていたけれど、ついパソコンに向かいたいという誘惑に勝てませんでした。
今年はいろんなことがありました。
「国旗・国歌」法の成立。少年法の改正。教育改革国民会議の最終報告。
子どもや学校をめぐる状況はとてもひどくなりましたね。反対しつづけてきたことが、すべて成立してしまった一年でした。暗い気持になります。
でもそんな中で着実に市民は力をつけてきていることに、私は大きな希望をもっています。
どんなに状況が悪くなっても、私たち国民の一人一人の力を合わせれば
そんな状況を変えていくことができると私は信じます。
来年早々の通常国会を、森総理は「教育国会」と名づけ、教育基本法の改正までも考えているようです。それだけはなんとしても阻止したい。
教育基本法を皆で読みましょう。読めば、どんなに素晴らしい法律か、わかるはずです。
 12月17日 学校W」の感想です。とってもよかった! 感動しました。送り出されるメッセージがとても希望にあふれていて、力づけられました。
「学校へ行く行かないというのは君の自由。でも、一人前の人間になる必要はあると思うよ」
主人公の少年と屋久島の縄文杉を見に行くのに同行した女性の言葉。「一人前」というのはどういうことだろう。
縄文杉を見たあと、屋久島で世話になる丹波哲郎扮する老人が少しボケてきておもらしをしてしまった時、そんな自分を恥じて自殺すると言い張る老人に、少年は実に自然に温かく接します。
離れて住むその老人の息子がやってきて、老人を救急車で病院に連れて行こうとしたとき、その息子は「ああ臭い臭い。おもらしをするようになったら、もうオシマイだな」などと言います。そんな息子に、少年は「おじいさんは、おもらしをしてしまうことを死ぬほど恥ずかしがっていた。それなのに、あんたは他人の前でおじいさんが恥ずかしがることを言った。おじいさんがどんな気持ちでいるか。一人前の大人の癖にそんなこともわからないのか。」と、泣きながら抗議します。少年は、一人前の人間とはどういう人間なのか、このとき少しわかり始めたのですね。このシーンが一番感動的でした。
子どもが成長するというのがどういうことなのか、何が人間として一番大切なのか、わかっていたつもりなのに、日々の生活の中でつい見失ってしまいがち。他者の人間としての尊厳を大切に出来る人間になることが一番大切なことなんだと、再確認しました。
それなのに、子どもに対してきちんと就職したり、きちんと進路を見つけたり、そんな形になる事ばかりに目を奪われて、わが子に「目に見える形」ばかり要求してしまう。映画を見終わって、わが子のことを考えたら、人の痛みや悲しみが少しでもわかる人間にちょっとは近づいていると、「家の子たちもまんざら捨てたモンじゃない」と思えてきました。とにかく、とてもよい映画でした。
 12月13日 ワーッ!なぜかもう12月。いったい今まで何をやっていたんでしょう。
こんなことばかり言っている一年でした。もうこの一年も終わり。そうまとめは、もうちょっと後で。
でも、松Pのホームページを開設してから、もうすぐ一年になる。
ちょっとは、見ていただけているのでしょうか。
アクセス数も、2000を超え、時折いただく感想のメールが何よりの励み。
いろいろな厳しい状況の中で、めげそうになる時、皆さんの励ましの声は大きな支えになります。
人と人が支えあうって何て素晴らしい!
そうそう、先日山田洋次監督の『学校W』を見てきました。この感想も、もうちょっと後で。
今までで一番感激したとだけ、言っておきましょう。
10月13日 いつのまにか季節が変わり、めっきり涼しくなった。
不登校の問題を描いた『あかね色の空を見たよ』の試写会も終わり、いよいよ11月15日の本上映に向けて、チケットを売りまわらなくては…。
秋はPTAの行事も多く、何となく頭の中がぐちゃぐちゃしている。
ぐちゃぐちゃしているといえば、今の国会の状況。
与党のあの強気はどこからくるのか。与党だけの審議で選挙制度も少年法も決まってしまうのか。
絶望だけはするまいと思うが、怒るという気持ちもだんだん萎えてくる。
モヤモヤ、イライラ、そして「いやな感じ!」と呟くだけの自分にまた腹が立ち、エネルギーを消耗している。
皆はこんな時どうやって力を得ているのかな。
8月29日 上龍の『希望の国のエクソダス』を読んだ。ワクワクしながら、一気に読んでしまった。でもそのわりに、読後感はすっきりしない。後味が良くない。2001年、学校に異議を唱えて、不登校する中学生が全国で約80万人。その中学生たちが、大人たちが作る日本の社会に見切りをつけて独立国家のような町を作ってしまう。簡単にいってしまえばそんな話なのだが、大人たちが責任をどう取るのかということを考えずに、作中の中学生に期待してしまっている自分をちょっと嫌になりながら、それでも80万人も不登校する子どもたちが出てきたら、日本の学校も変わらざるを得ないだろうななどと思ってしまう。
ぽんちゃんが言う。「この国には何でもある。本当にいろいろなものがあります。だが、希望だけがない」それなのに、希望だけがあった時代と同じ教育を今も受けていると。
でも、北海道に中学生たちが作り上げた「野幌市」に、希望があるのか。中村君はこう言う。「ぼくたちには欲望がない」 大人たちの作り上げた社会に見切りをつけて、自分たちの考える町を作り出した彼らを突き動かしたのは欲望ではないのか。欲望でないとしたら、生き残りをかけたサバイバルだったのか。でもそれは、生きたいという欲望ではないのか。ムムム…。すっきりしない読後感はこのため。
でも、いい本だった。
 8月19日 帚木蓬生の「空山」を読んでいる。美しい山を削り取るように建設される巨大な産廃施設に反対する住民のお話。ゆたかな湧き水が汚される。「山が泣いとる」と嘆く村の人たち。わが身に引き寄せて読んでしまう。矢切の斜面林は、外環道路建設のために切られてしまう。移植されるのは大きな木11本。移植先は国道6号線沿いのかんかん照りのところ。根づくかどうかわからない。移植・伐採された後の斜面は、急傾斜な斜面を安定勾配にするために削り取られ、その上に工事用道路の仮設構台が作られる。「矢切の斜面も泣いている」ということになりそうだ。そして、矢切の町には汚れた空気と騒音で、住民の命も危うくなる!と、この小説を読みながら、また腹が立ってきてしまう。
 7月25日 暑い日が続いているが、今日は風があって少ししのぎやすい。
昨日、ジャーナリストの黒田清さんの訃報が新聞に載っていた。
昨年だったか、報道番組で『国旗・国歌法』の成立や国会の憲法調査会設置という憲法改正への流れに対する危惧を強く表明していた姿が印象に残っている。彼のような権力ときちっと対峙するジャーナリストが今どれほどいるのだろうか。今、彼を喪うことの痛手は大きい。
 7月19日 梅雨明けして、今日は県内の公立学校の終業式。PTA活動も夏休み。
昨日は、ピースサイクル(常磐線ルート)の人たちが、当地にやって来て外環道路問題対策協議会の私たちと交流。外環の工事現場や予定地などを見学。暑い日だった。矢切の斜面林も秋まで延命。
「人間て何て愚かなんでしょうね」と参加者のお一人がつぶやく。ホントにね。一度失われたものを元に戻すことはかなりむずかしい。青々と繁る斜面林の木々を見つめて、人間の手が加えられていないこの林を何とか守れないかと思う。私たちの地域の人間の生活を、健康を守りたい。
6月30日 あっという間に、6月ももう終わり。今月私はいったい何をしていたんだ!
25日に選挙も終わった。政治が変わるのか、変わらないのか、サッパリわからない結果だ。
もっと大きく変えたいと思ったのだけどね。
国民の多くは大きな変化を望んでいないということか・・・。でも、選択肢はそれほどなかったものね。
この人と思うような候補者がいなくても、私はとにかく自民党・公明党・保守党の与党3党の候補者を落としたいというその基準で選択した。さて、日本はどうなることやら・・・。主権者として、きちっと関わっていきましょう。
6月6日 2日にやっと衆議院が解散した。いよいよ選挙。
投票したところで何も変わらないとか、投票したい人がいないとか、様々な思いがあると思うけど、やはり投票に行かなくてはね。棄権していたのでは、政治は何も変わらない。今の政治を変えたいと思ったら、
みんな投票に行こう!
森さんが、おかしな発言を続けているけど、今までなかなか表に出なかったことが明らかになっただけのこと。他にも同じように
考えている自民党議員はたくさんいる。森さんの口の軽さに感謝しなくっちゃ。
5月26日 高校時代のクラスの仲間のメールのやりとりで、ふと自分の中学・高校時代を思い出した。
私は中学から私学で学んだのだが、校則も緩やかだったし、男女混合名簿だったり、尊敬できる先生も多くいた。我が子が公立の中学校に入った時、自分の中学時代とのギャップに戸惑った。当たり前だと思っていたことが、通用しなかった。我が子を私学へ通わせたいと思う親がいるのも当然かもしれない。でも、私はそうしなかった。より良い教育環境をお金で買うようで嫌だったのだ。子どもが不登校になった時も、転校させようという選択肢はまったく考えなかった。様々な家庭環境に育つ、地域の子どもたちが通う公立学校へ我が子を通わせるということにこだわった。子どもは地域で育つもの。私学へ行けば、子どもが地域で生活する時間は失われる。小・中学校の時代は、子どもを地域で育てたいととても強く思っていた。我が子だけが良い環境で育つのではなく、すべての子どもたちがよりよい環境で育つことができるよう、地域を変えていきたいと今でも考えている。でも、私自身が中学・高校を私学で暮らしたから、その思いがより強かったのかもしれない。自分自身の学生時代とのギャップを強く感じたからこそ、公立学校を何とか変えたいと思ったのだろう。そんなことを感じる今日この頃・・・ふっ。
5月19日 我が子に幸せになって欲しいと願わない親はない。なのになぜ、こんなに切ない事件が起こるのだろう。毎日新聞の記者の加藤春樹さんの書いた『加害者の親もまた子を失ってしまった』という記事は、『重く苦いかたまりを腹の奥に押し込まれたような、そんな思いが続いている・・・』という出だしで始まる。17歳の少年が起こした二つの事件に触れて書かれた文章はたくさんあるが、一番共感し、切なくなる文章だった。同じ年の子どもを持つ私も、その犯した罪を許すことはできないけれど、その原因を家庭にだけ求めるのは、つらい。人が人として育つことが難しい時代だと思う。人であるならば、当然その命の重さは育つ過程で自然と身についていくような時代では無いのだ。人を殺す子どもを育てようとは誰も思っていない。加害者の親の気持ちのつらさも私は切ない。なんという社会を私たち大人は作ってきてしまったのだろうか。少年犯罪への罰を厳しくしても、少年たちのまるで自傷行為のような犯罪は今後増えることがあっても、減ることはないだろう。子どもたちが、自分を愛し、大切に生きることができるようにするにはどうしたらよいだろうか。そうでなければ他者を大切にすることはできないのだから。みんなで一緒に考えたい。
5月8日 長い連休が終わった。といっても、私にはまったく通常と変わらない時間だった。世の中どこかへ出かける人も多かったようだが、私は洗濯・掃除・食事の用意・犬の散歩と、楽しみの読書、パズルで毎日過ぎていった。でも、季節は確実に移り変わっており、家の周りの木々は新緑が美しい。近くに訪れるツバメやコゲラ、シジュウカラなどの鳥たちの姿に目を奪われる。ウグイスもよく鳴いている。斜面林に野生のように咲いている藤の花が健気な感じ。身近な自然に心癒されるこの頃です。
そうした私の穏やかな日々も、連休中の事件で一転して暗鬱な気分に。私の息子と同じ17歳の少年が引き起こした例の2つの事件のせいです。なぜ?という思いと、これでまた少年法改正論議に拍車がかかるのかなという思いと。そして何よりも、一体どうすればよいのかという思い。私たちはなんという社会を作ってきてしまったのか。今朝の新聞に載っていた、いとうせいこうさんの「殺さない権利を!」には、とても共感してしまった。殺されたくないし、殺したくもない。殺されない権利ばかりクローズアップされるけど…。もう少し考えてみよう。
4月22日 テレビドラマにもなった『ケイゾク』を読み始める。最近、ミステリーばかり読んでいる。
教育関係の本も読みたいと思って買ってある本が山のように積んであるのに、真保裕一や、篠田節子などの本を読んでばかり。これが私のストレス解消だから仕方がないか。
少し腰を据えて、じっくり考えたいことがたくさんある。もうちょっと家にいるようにしよう。
4月15日 だいぶご無沙汰してしまった。コロちゃんは3月24日に亡くなった。喪失感。
新年度が始まり、何となく忙しい日々。今日中学校の懇談会。我が子は不登校だけれど、学校との関わりは、できるだけ持とうと考えている。我が子が発した学校への異議申し立て(そんなにはっきりしたものではないけど)を忘れないで貰いたいと思うし、我が子がまるでいなかったかのように学校の日々がすぎていくのはいや。というわけで、今年は中学校のPTAに委員として関わることにした。また忙しくなる。
3月23日 愛犬コロがフィラリアで重体。まったく食べなくなって5日目。水だけを飲んでいる。時折寝る場所を変えるため移動している。それ以外はまったく動かず、声も出さない。体の筋肉も緊張している感じ。名前を呼んで、そばへ寄って行くとわずかにシッポをふる。呼吸も苦しそうだ。
そんなわけで、私もなんとなく気持が沈んでいる。
3月14日 地域教育セミナー2回目に参加。今日の講師は、千葉大園芸学部の木下勇先生。子どもの遊び場について考える。まず最初に参加者がそれぞれの子ども時代の遊びの中で一番印象に残っているイメージを一枚の紙で造形する作業から始まった。子どもの頃遊んだ山や川のイメージを造形する人。田んぼや野原をイメージする人。様々だったが、殆どが自然豊かな環境の中で子ども時代を過ごしたようだ。都会で育った人も、空き地やお寺の境内、道路など、公園などのように子どもの遊び場として用意されたものではない場所をあげた人が多かった。そして、「そこへ行けば何時でも誰かがいて遊べた」という、幸せな子ども時代を皆過ごしていた。そのことが、遊び場として重要な要素だと先生は指摘された。
昔に戻ることはできないけれど、「そこへ行けばいつでも誰かがいる」という場を私たちは作っていかなければいけないのだと思う。例えば、世田谷で作られたプレーパークのようなものであるとか、町全体を子どもたちの遊び場にするような試みであるとか、様々な工夫をして作り上げていく必要がある。これからの町づくりを考えるときには、子どもの遊びという視点を常に持っていくことも大切。
子どもがわくわくどきどきするようなものに出会える町を作っていきたい。
3月10日 今日は二女の専門学校の卒業式。彼女も今日で学校というものとお別れ。4月からは社会人だ。
入学式のときもなかったが、彼女の卒業式に日の丸・君が代は無縁。親がついて行くのは高校の入学式までと私は決めているが、今朝も出がけに彼女に「日の丸・君が代はないよね」と確認する。
ほっとして送り出す。日の丸・君が代に対して理屈はともかく、生理的に嫌悪感を感じてしまう。形式的な式典そのものにも嫌悪感を感じてしまうのだが・・・。こんな私の気持は、国旗・国歌法の成立で、完全に無視されていく。憲法で保障されている思想・信条の自由はどこへ行ったのか。
3月7日 松戸の青少年会館主催の地域教育セミナーへ参加した。今日の講師は尾木直樹さん。
「今、日本全体が子育て不全という緊急事態になっている。このまま行けば2050年には日本は滅亡すると河合準雄さんが言っているけど、僕もそう思います。」この言葉でお話が始まった。
ではどうするか。地域の人たちが学校の中に入っていくこと。学校の中に地域を作っていくこと。あるいは地域に教員を引っ張り出すことなど、国策を待っていないで、私たちが新たな地域作りに取り組むことが大切。そして、今を我慢して未来を生きるという生き方から、今が充実した日であればきっと未来も充実しているだろうという生き方に変えた子どもたちと共に、パートナーシップを築きながら、社会を作っていくこと。そんな締めくくりであったかと思う。
30歳代のお母さんの参加が多かったのが印象的。
地域作りの核にPTAは重要な役割を持つと確信を深めた。今だからこそ、PTAをもっと機能させ、豊かな地域を作っていきたいな。
3月6日 春奈ちゃん殺害事件の第1回公判。
やはり、よくわからない。孤立していたのだなと思うし、今の母親の置かれている状況を突出した形ではあるけれど、象徴した事件だと思う。でも、なぜ?という言葉がわいてきて、すっきりしない。
3月1日 昨日、凶悪重大な少年事件では実名報道も正当と認められるという大阪高裁判決があった。
「少年法が実名報道を禁じているのは少年の社会復帰を容易にし、再犯を予防する刑事政策的配慮に根拠をおく規定で、実名報道されない権利を与えているものではない。仮に権利があるとしても、61条が当然に優先するものではない。」「凶悪事件など社会の正当な関心事で、表現が適切な場合は、少年の実名報道も、名誉毀損やプライバシー侵害に当たらない」との裁判所の判断。
怒りを禁じえない。誰が正当な関心事だと判断するのか。誰が表現が適切だと判断するのか。実名報道でどんな利点があるのか。実名がわかることで、事件の真相や背景がわかるのか。単に社会的制裁を出版社などの報道が行うだけに過ぎないのではないか。明らかにする必要があるのは、何故凶悪な少年事件が後を立たないのか、こうした事件を起こす子どもたちを次々に生み出している今の社会の何が問題なのかということではないだろうか。実名報道しなければその事件の社会的背景は明らかにならないのだろうか。
裁判所がこんな判決を出すなんて・・・。重苦しい気分だ。
2月26日(土) 今日は、松P研の2月例会の日。参加者は6名と少ないものの、広報などを見て初めて参加された方が3名もいらして、嬉しい。村越先生のお話は、とても自然体で、ありのままの中学校の様子が見えてきた。村越先生ほど、自然に、肩に力を入れずに、本音で語れる先生には、なかなか出会えない。もっと多くの方に、特に中学生の子どもを持つ父母の方たちに参加してもらえたらよかった。
2月25日(金) 朝日新聞朝刊第一面の「憲法調査会」についての記事を読む。まったくその通り。国民は誰も憲法改正の必要性を感じていない。いったい誰が、憲法を改正してくれと言ったのか。むしろ、いまの憲法の理念を深く体現できる社会を望んでいる。でも、放っておいたら、憲法改正の動きはどんどん進んでいってしまうかもしれない。気をつけよう。
2月24日(木) 薬害エイズ ミドリ十字ルートの判決が下りる。川田龍平さんはニュース番組の中で「官僚は、自分の任期中に何も起こらなければいいと思っているその体質は何も変わっていない」というようなことを言っていた。官僚・医師・製薬会社の中の誰か一人が行動を起こしていれば、薬害エイズに苦しむ人は、存在しなかったかもしれない。組織の中で仕事をする人すべてに言えること。人間としての誇りを持って仕事をしてもらいたい。自分のしたことが、あるいはしなかったことが、どんな結果をもたらすのか。それを常に念頭において仕事をしてもらいたい。先日建設省の人に、「貴方がまじめに仕事をして作ろうとしている外環道路ができた時に、地域の人たちにどんな公害をもたらすのか、よく考えてほしい。ただ自分の与えられた仕事を忠実にこなしていったその結果を考えてほしい。本当にそれが国民のために役に立つことなのか。川崎や尼崎のように、喘息などの公害病に苦しむ人たちをたくさん生み出していってしまう仕事をしているのではないか。人間として誇れる仕事をしてほしい。」と、言ったのだが、この思いは通じただろうか。たとえ、そのことで職を失うことになっても、私は人間の誇りを持って生きていきたいと思うのだが、それは甘い?
2月20日(日) 松Pのホームページを開設して、約2ヶ月。中身も少しずつ充実させてきたつもり。松Pの活動をできるだけ多くの人に知ってもらい、多くの人に参加してもらいたいと思って、ホームページを開設したが、まだまだ結果は出ない。松戸の教育を少しでもよいものにしたい。孤立し、悩んでいる人がいたら、ともに考えたい。焦らず、しぶとく、適当に。このモットーで、息長く続けていこう。
2月18日(金) 松P研の会報の印刷日。事務局メンバー3人が集まり、教育会館にて印刷・発送作業。
一ヶ月のたつのは早い。会報も246号目。忙しさに追われて、中身が薄っぺらになることもあるけれど。大変だけど、毎月継続して発行することが大切だと思っている。できれば、会員の方の投稿記事があるといいのだけれど・・・
2月16日(水) 夜6時30分から、教育会館にて、松戸市民集会実行委員会の反省会。実行委員のWさん手作りの料理が並べられ、嬉しい。反省点もたくさんあったのだが、いちばんの話題になったのが、なぜ若いお母さんたちの参加が少なかったかということ。日曜日に外出するのは大変なのかなあ、日時の設定を工夫しなくてはねとか、宣伝方法も考えなくてはねとか、いや、やっぱり直接一人一人に誘いかけることが大切だとか、いろいろ知恵を出し合った。そこへ30代半ばの高校の先生が一言。「今の若い人は、大勢の中で自分の考えを言ったり、討論したりするのを嫌がりますよ」と。「ぶつかるのが嫌なんです。匿名で語ったり、仲間内で雑談したりするのは好きなんですがね。」とも。ほんとうにそうなのかな?我が子たちを見ていると、うなずける点もあるのだけれど・・・

     日々雑感