2003年9月例会報告
松戸の教育はこれから・・・
【青木先生のお話】
今回、市議会の全員協議会で発表されたものが、いったいどういう国の政策とつながりながらどんな中身を持っているのかということを、出されている資料を確認しながらいきたいと思います。今回出されたものというのは、社会教育や学校教育を総括した生涯学習基本計画というのがあって、その生涯学習基本計画に基づく実施計画が教育改革アクションプラン。教育改革アクションプランも非常に数多くの施策があるのですが、その中の特に教育資源有効活用実施計画には学校の統廃合、学校選択制とゾーン制、この3つが書かれています。
国の教育改革に基づいて松戸市の教育改革は進められ、今言った生涯学習基本計画と2つの実施計画が出されたのです。
≪国の教育改革はどういった計画や答申に基づいているのか≫
○ 総合規制改革会議
今まで教育の場というのは、たとえば学校を建てるにしても、学校法人、国公立といったように一定の制約がありました。何故規制されていたかというと、人格の完成を目指すという教育の大きな目標に照らした教育をするところを学校というふうに定めているので、一定の規制があったのです。そういった規制を取っ払って、塾であろうと株式会社であろうと、教育の場に参入できるという規制緩和を進めようという会議がこれです。
○ 中央教育審議会
今の学習指導要領であるとか、教育課程の問題とか、学校5日制の問題などを進めてきたのがこの審議会。
○ 教育改革国民会議
教育基本法の改悪を目指した議論がされていましたし、心の教育や道徳教育の強化、愛国心の問題、奉仕活動の義務化というようなことが議論され、政策に反映されてきました。
こういう大きな国の教育改革に基づいて、松戸市では一昨年前に松戸市教育改革市民懇話会がスタートしました。この懇話会の最終報告が今年2月に出され、それにもとづいた松戸市の教育改革の理念が出されました。
この中で、国の教育改革・規制緩和という流れに一番忠実な言葉として出ているのが、「B自己決定、自己責任の理念に基づく教育体系づくりを推進します」という項目です。何でもあなたたちが選びなさい。選んだからには、あなたが責任を持ちなさい。学校教育や社会教育の公の責任を行政がどんどんスリム化していって、責任も役割も軽くしていって、そのかわりあなたの責任で最後までやりなさいと。こういう姿勢が露骨に出ているのがこの項目です。
今回出された三つの案は、松戸の教育についての分析は全くありません。何があるかというと、どうやって今ある資源を、お金をかけずに、有効に活用できるか。どうやって人減らしをして、経費も削減して、それを今まで以上にいろいろなところに使うか。学校の統廃合のところで言えば、人数の調査。経済効率と人数割に終始しています。
松戸の学校ではどんな教育が行われていて、どんな成果が上がっていて、どんなところが課題なのか、地域の実態はどうか、どんな要望があるのか、どういう要望を取りまとめて学校教育に反映していけばいいのか、そのためには教育行政としてどういう援助をしなくてはならないか、学校の一人一人の教員はどういう教育活動をしたらいいのか、そういうことを総合的に分析して、それではこういうふうにしていこうというのが、教育改革を打ち出す時の重要な理念の土台になると思います。
しかし、情けないくらいに、それがないです。それがないまま、国の規制緩和の路線に乗って、理念ともいえないような理念を出してくる。
≪行政が考えたことをどんどん押し付けていくという露骨な進め方≫
松戸市教育改革の全体構造という図表がありますが、この構造図の一部が市民に最初に公表されたのが、5月25日号の広報まつどです。今回発表された様々な事業や施策の一つ一つが非常に問題を含んでいるものばかりなのに、そのことは公表していませんでした。今回発表されたいろいろな事業は5月25日の時点で、すでに詳しく出ているはずなんです。ところがそれには触れていない。統廃合についてもいっさい触れていない。小中一貫校についても触れていない。今回発表された生涯学習基本計画の中でも、なぜ小中一貫校を作るのかという理由は全く書いてありませんが。市民を馬鹿にして、自分たち行政が考えたことをどんどん押し付けていくという露骨な進め方をしようとしている。
千葉県の市町村でも、行政主導でバンバンやられている2学期制の問題があります。千葉市では来年度から2学期制をはじめます。ところが学校の校長先生や先生たちがそのことを知ったのは、新聞発表でした。トップダウンで上が決めたことを、学校や父母・市民に知らせる前に、マスコミに発表して進めていく。そういう手法です。今年から始まった鎌ヶ谷の学区自由化も同じやり方です。校長会も知らない。教員も知らない。いきなりマスコミ発表というやり方。船橋市も来年度から2学期制を実施するということで、行政主導でやっています。学校5日制になって少なくなった授業時間をどう確保するかということで、2学期制がクローズアップされてきた。テストも2回になるし、通知表も2回になるし、夏休み前の短縮日課もなくなる。そうして生み出した授業時間の問題、それだけの理由で松戸市も各地の実施状況を見守るという。しかし、2学期制にするということは教育課程そのものも2学期制にあわせて作り変えていくことになり、単に1年間を二つにわけるか、三つにわけるかという違いだけではない。
学区の統廃合については、今年度から研究を始めていって、17年度に実施するということになっています。実質1年半の準備期間。ゾーン制も17年度に実施。学校選択制は来年4月に実施するのですが、10月25日に広報で発表したら、10月27日から学校見学が始まって、11月1日には3ヶ所で父母向けの説明会を開き、11月9日には募集を始めるという、とんでもない日程になっています。市民や学校関係者を全く念頭においてない日程だし、中身です。
≪ゾーン制とはどういうものか≫
新しい地域的なまとまりとして市を複数の地域に分けるゾーン制を敷き、ゾーンを一つの教育行政区として人的、物的資源の再配分を行うことを検討します。例えば、各小中学校の総合的な学習の時間や各教科の学習において指導者の交流を活性化したり、中学校で課題となっている部活動の種類をゾーンごとのまとまりとして考えることなど学校教育、社会教育のそれぞれに合理性のあるまとまりをつくることが可能になり、学校事務等の標準化等、合理化、効率化に向けてのシステムの整備を図ることができます。 |
(教育改革アクションプラン)
例えば松戸市を北部・南部・東部・西部と4つの地域に分けたとします。北部にはいくつかの小学校といくつかの中学校があります。単純に計算すると松戸には21校の中学校がありますから、1地域あたり5校程度になりますね。小学校は12校程度。この北部ゾーンで人的な交流、物的な交流をしようということ。各教科の学習において指導者の交流の活性化といいますが、今、中学校では免許外の教科の先生がいっぱいいます。中学校では選択教科が増えていて、そのことでまた免許外の先生が増えています。一つの学校でまかないきれないものをゾーンでまとめることによって、やりくりができるようにするのです。部活動については、いくつかの学校にまとめて活動するのは良いことではないかと思います。学校の名誉を背負って、部活動が過熱していくのを緩和することができるのではないかと思うからです。でも部活動の指導をする時は、単に競技の指導をするだけではなく、生徒指導や日常の生活指導や学習指導と絡んで指導しています。それが複数の学校から生徒が集まってきたら、そのへんはどうするのでしょうか。
≪ゾーン制で何を狙っているのでしょうか。それは大リストラです≫
今までは、各学校に人材を配置するというのが基本でした。それをゾーンにまとめることで、1人の人間がA学校にもB学校にも行く。それで市職(事務・用務員)、それに市雇用の講師を大リストラする。今 松戸市では特殊学級補助教員が30数名配置されていますが、そうした市雇用講師を減らしていく。そして、今までは学級数や生徒数に比例して配置(形式平等配置)していた様々な教職員を、ゾーン制にすることで実質平等配置すると言っています。特色ある学校づくりの特色に応じて、スタッフを派遣する。実は2年前に総合的な学習の時間が始まった時に、市教委はすでにこれを実質配置しようと予算を組んでいました。つまり各学校から総合的な学習の時間のプランと計画を出させて、それを吟味した上で予算を多くつけたり減らしたりということをやろうとしました。それはとんでもないと。学校配分予算というのは教育活動を支えていくために、各学校どうしても必要な予算として、基本は学級数や児童数で振り分けているのです。子どもが少ない学校だから少ない予算でできるかというとそんなことはありません。図書費がいい例です。松戸の図書費は生徒数に比例しているのです。だから大きい学校はいっぱい図書費が来るので、図書がいっぱいあります。ところが小さい学校は、図書が少なくて図書館の機能を果たすことができません。どんなに人数が少なくても、教育活動や教育内容を一定の水準を保って豊かにしていくためには、どうしても必要なお金があります。そういうことを配慮もせず、学校から出されたプランで行政がここはいい、ここはダメ、ここは国の教育施策にあっているからいっぱいあげるというようなことをやってしまったら、とても大変です。お金をちらつかせて、教育内容に行政が入ってくるということです。教育基本法違反です。
≪学校の統廃合≫
例えば、新松戸北小と新松戸西小を統合するにあたって、なぜ新松戸西小に統合するのか。北小の方が交通の便もいい。建物が古いから? でも、根木内小と根木内東小は建物が古い根木内小に統合する。校舎というのは、子どもが一日の大部分を過ごす所です。根木内東小というのは、どんな建物がいいのか、どんな配置がいいのか、父母や市民の方たちが知恵を絞って建てた学校です。
Q)根木内東小の地域はこれから人口が増えると書いてある。子どもの数は増えていく見込みだと。だけど、根木内東小から根木内小へ今年17人移動し、この傾向は今後も続くとあるから、根木内東小を根木内小に統合すると。どうして17人移動したのか。その理由は?
A)根木内東小に学童保育がないから、教育委員会が「根木内小へどうぞ」と勧めているのです。だから生徒が減っている。その17人が根木内東小へ行けば、2学級になるのに。毎年そうやって、教育委員会が1学級にしてきているのです。学童へ行ってない子も、「ウチの子もいいかしら」というと、教育委員会が「どうぞ」というのです。意図的です。
q
今回のプランは、教育改革市民懇話会の最終報告を受けて作成されたとしていますが、こういう統廃合の話は懇話会で出ていたのですか。
q
いいえ、全然出ていません。ゾーン制だとか、学校選択制は、事務局が書いてくるものに出てくるのです。こんなこと前の時に話し合っていないから、「これは何だ」というと、事務局がグチャグチャグチャと説明して、そういうことの繰り返し。委員たちの審議の中には出てこない。事務局が書いてくる原案に出てきてしまうのです。懇話会の中間報告を特集した去年10月の広報まつどに、「特色ある学校づくり」という項目が大きく出ていたのです。「何でしょう、これ。私たちこんなこと話し合っていませんよ」と言いました。他の委員さんたちも言いました。「学校選択制と学区の自由化、それって結びつけることに非常に危険性を感じるから、やらないでほしい」ということを、公的な場でも私的な場でも何回も何回も言いました。それなのに、最終報告にも出されてしまう。少人数学級については、懇話会のすべての委員さんが賛成でしたから、最終報告にも少人数学級という言葉を入れました。それなのに、今回のプランの中には少人数学級について全く触れていません。最初から、教育委員会がやってきたことだけが実現可能という形で出てくる。懇話会はホントに馬鹿にされていますね。
q
10月の教育委員会会議で決定して、(案)が取れてしまったら、もう実施ということになってしまうのでしょうか。
q
学校の統廃合ということで言えば、「学校設置条例」というのがありますから、それを改定しなければならず、それは議会が決定します。でも、東京でもそうですが、統廃合の準備をどんどん進めて、実施直前の議会で「設置条例」を通してしまう。選択制については、教育委員会会議で通れば、即実施でしょうね。
q
市民参画といいながら、それは本当にスタイルだけで、言い訳に使っている。教育委員会には、これでほとんど壁がないから、このまま実施してしまうでしょう。阻止することは難しい。例えば学校選択制のところで、どうやったらもう少し選択の害悪を減らすような仕方ができるか、そういうことも考えていかなければいけないかと思っている。「こんなナンセンスなもの、私知らない!」と言ってしまいたいところですが、それではどんどん悪い方へ行ってしまうから、少しでもその害毒を減らすために、何かできることがあるだろうかと考えている。
≪特殊支援教育って? 特殊学級をなくしていく?≫
q
今、新松戸北小には特殊学級があるのですが、新松戸西小との統合計画を見ると、特殊学級ゼロなんですね。ということは、特殊学級をなくしてしまうことか。今、新松戸北小の特殊学級に通っている子どもたちは、馬橋小の特殊学級へ行けということでしょうか。そうすると電車通学しか考えられない。
q
実は今回のプランの大きな柱の4つ目に、特別支援教育計画があります。平成18年度から実施するとあります。国は養護学校や特殊学級を全部なくすという方針でいます。全部なくして、障害の種類関係なく、通常の学級に在籍させる。それにあたっては、障害を持った子どもの教育は特別なプランが必要だが、そのプランを専門家に作らせ、それにのっとって、通常学級の教員が時々来る支援スタッフと一緒にやっていくという、ということが出されています。だから、松戸市も国の障害児教育の進行にしたがって、特殊学級をなくしていくのではないでしょうか。特別支援教育は、通常学級にとっても非常に大きな問題があります。基本はこれ以上お金をかけないということです。養護学校や特殊学級はとてもお金がかかるので、全部通常学級へ入れて、お金を削減する。専門的な人にいくつもの学校を掛け持ちさせていこうというもの。
q
すべての学校を、車椅子でも生活できるような施設にしてということではない。それなしに「どうぞ」と放り込むのでしょう。
q
通常学級は40人を1人の先生で見ているけれど、障害児学級は子ども7人に先生1人の配置です。養護学校だと子ども2人に先生1人くらい。どの子にも等しく教育を保障できるのか。
q
戦後教育基本法ができて、どの子にも教育を保障すると言いながら、障害のある子どもたちが義務教育を受けられるようになったのは70年代になってからです。それまでは、障害があったら学校に行かれなかったのです。すべての子どもに発達保障と、その子なりの成長を保障するために、どうしても学校が必要ということで、70年代になってようやく養護学校や障害児学級が生まれてきた歴史があります。その養護学校や障害児学級が、今だってその子たちの発達保障がされる教育条件整備で行われているかというと、そうではない。7人に1人先生がついていたって、それでも足りないから、非常勤の特殊学級補助教員がついている。それでもてんてこ舞いしている。通常学級の先生の他に、障害のある子どもにつく別の先生がいて、アドバイスをしながら一緒に学習していけることもいっぱいあると思います。でも、特別な教育や手だてをしないと、本来伸びるその子の能力や成長も保障されないというものも、やっぱりあると思う。人の配置や条件整備が全部整っても、一緒にいるという空間と別々に教育するという空間がなければ、どちらの子どもたちも本当に全面的に発達するということができないのではないかと思います。どんなに通常学級を基本としようも、養護学校と特殊学級はなくしてはいけないと思います。
q
先日ラジオで聞いたのですが、目が見えなくなると脳の中の視覚をつかさどる部分が退化するのだそうです。ところが点字を覚えるとそこがまた活性化するそうです。同じように、耳が聞こえなくなると聴覚をつかさどる部分が退化するが、手話を覚えるとそこが活性化する。人間の脳というのは非常にデリケートで、しかもどんな状況でも一定の教育が与えられればそこが開花してくる。そういうことが通常学級に通うことだけで保障できるのか。今、これだけ差別化されているし、車椅子だと町も出歩けない。介助犬を連れていたら、店にも入れない。そういうことを放ったらかしにしているために、障害のある子どもを持つ親があまりの差別感に、何とか一緒に生活をさせたいという思いを持つことはわかります。
≪学校選択制について≫
松戸市としては、すでに学区の弾力化を行っていますが、児童生徒、家庭が隣接学区程度の徒歩で安全に通学できる範囲で学校を選択することを可能とする「学校選択制の導入(学区の弾力化の明確化)を行います。 |
(小中学校教育資源有効活用実施計画)
学校を選ぶにあたっては、どんな学校でどんな教育をしていて、どんな評価が出されているのか、(それは外部評価が中心になると思いますが)ということがホームページなどに掲載される。そしてその特色ある学校づくりに役立つために、教員の配置が行われる。
教員は何も知らされていなくて、「本当に来年からやるの?」と言っています。学校選択制の説明会の会場になっている学校の教員でもそうです。学校選択制では、すべての小中学校で学校見学が行われるにもかかわらずです。
q
学校統廃合が予定されている学校を希望する新1年生は、ほとんどいなくなってしまうのではないでしょうか。学校統廃合をしやすくするための選択制の導入ですね。
q
教育委員会は今回の改革で「学校を核とした地域コミュニティづくり」ということを言っています。地域の中心は学校という認識を持っているということ。子どもの数は減っていても、廃校になる学校の地域の人口全体も減っているのでしょうか。むしろ人口は増えている地域もあるはず。その人口全体を見ていくべきだと思います。
q
学校というのは、子どもたちが教育を受ける場ということだけではなくて、地域の人たちが交流する場でもあり、防災の拠点でもあり、いろいろな機能を持っているはず。子どもが少ないからといって廃校にしてしまったら、その地域を作り変えていくことになる。本当にそんなふうに作り変えていっていいのかという議論を、地域の人たちがしていかなくてはならない。
q
ゾーン制にしたって、3〜4つのゾーンに分けるというけれど、本当にそんなゾーンわけでいいのかどうか。中学校区を一つのゾーンとして考えるのなら、今までも地域間の交流があった。新たに地域を再編するのではなく、今までの地域を生かしたものならまだしも、と思います。
q
今回の計画の中では、単学級(1学年1クラス)の場合、子どもたちにとってマイナス面が多いとしていますね。2・3日前の新聞に、「山形県で教育委員会関係の人たちが集まって、少人数学級を実施することによって子どもたちにどういう変化が起きているかという交流会があった」という記事が出ていました。その中で出された多くの意見は「少人数学級になって、子どもたちにプラスになったことが多い」ということです。単学級というけれども、少人数学級にしていけば、2学級になるところが多い。もう一つは、少人数指導より少人数学級だということです。佐藤学さんが書いている『学力を問い直す』という本の中に、「諸外国では1960年代から1970年代にかけて、世界の各国で少人数授業の研究や実践が数多くされた。でも今は、そういう少人数授業の実践をやっている国は日本を除いて一つもない。なぜかというと、全く成果が上がらなかったから。」と書いてあります。「現在では、習熟度別指導や能力別指導を教育改革において推進している国はありません。習熟度別指導や能力別指導を積極的に研究している教育学者も教育心理学者もいません。現在の教育改革と研究の大勢は、習熟度別指導や能力別指導という学習の個別化ではなく、その廃止であり、多様な能力や個性を持った子どもたちの学習の協同化にあります。ここでも現在の日本の文部科学省の政策は時代錯誤であり、世界の趨勢に逆行する独善的な方策である」と。
q
全体として読んでみて、今回の松戸の教育改革の内容というのは、すべてが教育の論理ではない。教育の内容として大きな問題があるということを指摘していくべきだと思いました。学区の自由化というのは、学校と学校を競わせることになる。校長先生が朝の打ち合わせを終えると、ネクタイと背広に着替え、自分の学区の子どもでよその学校へ行った家を訪問して、「何とかまたうちの学校へ戻ってきてもらえませんか」とセールスマンのように頭を下げて歩く。それが校長の仕事になりつつあるというのを聞いてビックリしました。自分の学校に来る子どもが減ってくると、校長の経営手腕がまずいということになる。
q
教育とは何か。競争によって子どもたちを育てるということなのか。教育基本法で、教育の目的とは何かといったら、「人格の完成」といっている。小中学校・高校まで含めた段階は、普通教育をやる。人には様々なとりえがあるのだけれど、その子が人間として生きていくに必要な様々な能力を満遍なく発達させていくということが、人格の完成の基礎だということ。それは競争でやるものではなくて、子どもたちの協同の力で、教師と親と三者でやっていくのだということ。そこを論議していくことが大切。
q
大きな根っこを張る方が、いっぱい葉を茂らせ、花を咲かせるわけだから、根をあちらこちらに張らせるというのが、普通教育ということでしょうか。
q
どの子も居場所があって、どの子も出番があってという学校というのが一番。大規模校では子どもの居場所や出番が減らされていくんですよ。ちょっと元気がない子がいても声をかけられないし、ちょっと遅い子は出番がなくなってしまう。弱さを抱えている子は自尊心をもてない。何をやってもうまくいかなくて、だめなのかなぁと諦めてしまう。競争は教育の世界には全く馴染まないということを、丁寧に話していきたい。
q
日々の暮らしに精一杯で、教育のことを考えている親がどれくらいいるのだろう。私自身あまり考えてこなかったから。親たちが声を上げることが大事だと思っているけれど、他のお母さんたちにいろいろな思いをうまく伝えることがとても難しい。
q
今までの教育が悪しき平等だなんていわれて、そうしたらわが子だけはどうにかしなくてはと親は思ってしまう。
q
先日病院へ行ったら、日本医師会の大きなポスターが貼ってありました。「すべての命に平等の医療を」というポスターです。私は、「すべての子どもに平等の教育を」と言いたいですね。さらにその下に、「お金があるかないかによって、医療に違いがあってはいけません」と書いてあったんです。同じように、「今ちょっと勉強ができるか遅れているかによって、こんな差別の教育をしてはいけません」と言いたいですね。
q
お金のあるなしで、受けられる教育が違ってはいけませんよ。