2003年10月例会報告

平和とはつくりだしていくもの

―大切なのは、命を大事にすることです★コスタリカの平和教育―

憲法改正や教育基本法改正が声高に語られるようになっている今、そんな動きに非常に危機感や不安を感じています。そんな中、ぜひコスタリカの平和教育に学びながら平和について考えていきたいと、この例会を開くことにしました 

q      私は、弁護士の西山先生が開かれている勉強会で、コスタリカの話を初めて聞きました。コスタリカでは平和教育として、憲法を小さい時から学んでいる。日本ではどうなんだろうと投げかけられた時に、教育委員会の方たちも答えられない。小学校6年生の教科書で憲法についてチラッと触れるけれど、憲法の内容についてまでは幅広く教えていない。平和教育のところから出発していかなくてはいけないのではないかと思うけれど、現場では平和教育をするゆとりもない。コスタリカに学ぶと言っても、コスタリカの真似をするのではなく、私たちはどういう平和教育ができるのかということを考えていきたい。うちの学校のPTAでは、以前「平和と教育を考える会」というのがありましたが、つぶされてしまいました。「平和」「教育」という言葉に対してアレルギーを持つ人が増えてきたのかなぁと思います。PTAの中で平和のことが語れない。「平和」と「教育」はとても密接だと思うのですが。教育によって、平和にもなるし、戦争にもつながるし・・・。こんなにも簡単に有事立法が成立してしまうし、憲法改正に賛成する国会議員が60%以上にもなっているというのは、平和教育をきちんとしてこなかったつけが今回ってきているのではないでしょうか。

q      本当にコスタリカという国は素敵な国ですね。「日本の憲法9条は本当に素晴らしいもの。世界に輸出すればいい」とカレンさんもおっしゃっていました。
コスタリカは、軍事費にお金をかけるよりも、軍隊をやめて教育にお金をかけましょうと、それを実践している。

q      あれだけ内乱の激しい国々に囲まれながら、コスタリカがどこからも攻められないでいるのは、平和憲法を持っているから。日本の憲法9条も抑止力になる。
コスタリカに行ってこられた方は、「コスタリカでは、貧困という現実はあるが、貧しくても子どもたちの顔つきが全然違う」と言います。

q      カレンさんが一番言っていることは、「一番大切なのは命。生きるということが一番大事。そのためには教育や福祉にお金をかけなければいけない。」ということ。

q      今回日本はイラクでのアメリカ占領支援のために最大で50億ドル(約5500億円)支出するという。その一方で、今回の松戸市版教育改革で、学校の統廃合をすると、試算で1校当たり人件費が4000万円(教職員12人として)浮くという。人を育てるのにお金を使うのか、人を殺すのにお金を使うのか。

q      市民にとって何が大切かを考えた挙句、コスタリカでは軍隊はいらないと決めたという。それぞれの人が力を発揮できる社会、自分が自分を大切にできる社会を創ろうとした。

q      早乙女愛さんと足立力也さんが書いた「平和をつくる教育」(岩波ブックレット)の中に、コスタリカの学校の授業の様子が書かれています。これが本当に平和教育なのだなぁと具体的にわかるところがあります。2年生の授業で、先生が「あなた達の権利は何ですか」という質問をします。そうするとすぐに子どもたちから「遊ぶこと」「愛されること」という答えが返ってくる。7歳くらいの子どもたちが自分たちの権利として遊ぶ権利、愛される権利があるのだということをはっきりと言える力があるということに驚いたと、足立さんは書いています。その後、先生が「自分たちがイメージする平和の絵を描いてください」という課題を出すと、友だちとケンカして仲直りする絵を描いたり、美しい自然の中で遊ぶ絵を描いたり、自分たちの身近な所で平和って何だろうと考えてイメージした絵を描いた。いろんな人と仲良くするとか、自分たちが遊べるような自然が壊されずにあるということが平和なのだと、具体的な自分の生活と平和が直接結ばれている。コスタリカの平和教育は、こんな世界だったらいいなぁ、こんな社会だったらいいなぁというプラスのイメージで平和を考えている。本当にそうだなぁと思います。私も、教科書の中の言葉として「人権」や「平和」を教わってきているし、頭の中で考えてきているけれども、自分が生きる場で具体性を持ってイメージできてないところがある。自分が毎日暮らしているところでいろいろな権利が侵害されていたり、環境が破壊されて最低限の生活も送れない、例えば喘息で苦しんだり、そういう問題があるというのは平和ではないのだということを小さい時から認識できるのは本当にすごいと思う。

q      映画「軍隊をすてた国」の中に、選挙の場面が出てきますね。子どもたちが選挙運動をしている。自分たちの権利を守るということや、政治で発言している内容が非常にしっかりしている。日本の子どもたちはあんなふうにしゃべれないだろうなぁと思う。自分たちの生活を守らなければならないとか、人権的なことをしっかりしていかなければならないとかを大人たちに訴えながら、選挙運動を積極的にしていく。日本では、政治・選挙に関わることを学校の中で話す時は先生たちも気を使う。学校の中で政治を語ることが、何か悪いことのように思われてしまう状況にある。いい政治を選んでつくっていくのは自分たちなのだからという意識が、小さい時からコスタリカでは育まれている。

q      コスタリカはまだ貧しい国。授業も2部制で行なわれているし、教材も乏しいし、人数も詰め込まれてやっているし、それでも子どもたちの目はキラキラ光っている。あんなに輝く子どもの目を、日本の学校の中で見ることができるだろうか。不安定要素はたくさんある。軍隊はないとは言いながら、警察が軍隊の役割をしている。政治の指導部がひっくり返れば、いつ軍隊が持ち込まれるかわからない状態。だからよけい一生懸命平和を守りましょうと言っているのだと思う。

q      コスタリカの場合は、完全な軍隊の放棄ではないのですね。常備軍は持たないが、必要に応じて軍を再編することができるとなっている。地続きの周りの国で紛争が起これば、すぐに巻き込まれる危険性がある。そういう危機感のある国ですね。紛争のある国から、コスタリカへ逃げてくる人たちも多いが、コスタリカはそうした人たちを受け入れている。いろいろな問題を今後も抱え続けていくのでしょうね。だからこそ、平和を守ろうということでしょう。

q      コスタリカは一大政党と野党という感じで、常に政権が交代しうるような状況になっているし、大統領も終身再選されないと決められている。非常に固定化しない。そういう中で、子どもだけでなく大人も、サッカーに夢中になるくらい選挙に夢中になる。投票率も高い。

q      「軍隊のない国」がいまだに続いているのは、やはり国民の一人一人がそのことで利益を得ているから。だから、軍隊を持つ必要はないと。

q      防衛費にかかるお金が、教育や福祉にまわされているし、自分がいつ徴兵されるかわからないという不安も持たなくて済む。軍隊を持たないことのメリットを実生活の中で感じている。

q      コスタリカは自然保護の先進国。エコツーリズムのメッカでもある。国立公園などにエコツーリストのための専門的なガイドがいて、アメリカやカナダなどから観光客が大勢来ている。それが一つの大きな収入源にもなっている。 

「平和って一番大事なんだなぁ」と細胞の中にもしみこんだ気がします。

q      私は戦争体験者。長野県に住んでいたのだが、日本中軍国主義教育が網の目のように張りめぐらされていた。小学校の子どもたちも、日本は戦争に勝たねばならないと思って、一生懸命戦争に協力してきた。だんだん戦局が困難になって、「神風が吹くはずなのに、おかしいなぁ」と思いながらも、それでもやはり一生懸命戦争協力してきた。イナゴ取りしましょうとか、出征兵士の家の農作業のお手伝いに行きましょうとか、出征兵士を送ったり、戦死した人をお迎えする行事に参加したりとか…。戦争が負けて終わって、すぐに学校の中の雰囲気が変わった。昨日まで天皇は大変な存在だったのに、戦争が終わったとたんに「天皇陛下」という言葉がどこかに行ってしまって、先生たちはどうしたらよいかわからない状態がしばらくあった。それからしばらくして平和憲法が発布された。子どもたちのためには「新しい憲法のはなし」という冊子がつくられ、憲法の教育も始まった。だから、私は小学校の時から、教室で新しい憲法をずっと読まされました。「今までの日本と違うのですよ。戦争は大変悪いことだから、日本はこれから将来永久に戦争をしません。戦争を放棄した憲法ですよ」と、教室で先生から教わった。教育基本法も読んだ。「これはすごいことなのだなぁ」と子ども心にも思いました。「平和って一番大事なんだなぁ」と細胞の中にもしみこんだ気がします。平和憲法は日本にとって大事だし、自分たちにとっても命をかけても守っていかなければいけないほど大事だと、小学・中学生の頃にしっかりと皆思いました。初等教育というのはとても重要だと思います。

q      日本の平和教育が進んで、日本が民主化・共産化していくのではないかという憂いを持ってアメリカが介入してきた。そこで、自衛隊の前身である警察予備隊がつくられ、表面上は憲法9条を守りますと言いながら、その中身をどんどん軍隊化してきた。「平和憲法はアメリカがくれたもの。人からもらったものをありがたがってないで、自分の国の憲法をつくりましょう」と言う改憲論者がいるけれど、短期間であれだけの内容の憲法をつくった人たちって素晴らしい識者たちだと思う。日本の人たちも一生懸命知恵を絞って、あの平和憲法をつくったと私は思っている。「あの戦争が大変な惨禍をもたらした、もう二度と戦争をしてはいけない」としっかり思った人たちがあの憲法をつくってくれた。

q      今、若者たちに自分が徴兵されてもいいかどうかというアンケートをとったら、おそらく12%は賛成するかもしれないけれどほとんど反対だと思う。大衆消費社会というのは、損するか得するかという論法でものを考えるから、戦争に連れて行かれるのは損すること、損することをいくらどういう形で押し付けてきたって、突破できないですよ。

q      だから「心の教育」を言う。今の若者を徴兵したって軍隊にならないもの。だから焦っているのでしょう。教育の場できちっとした日本人を育てたいのでしょう。

q      「自分が徴兵されるのはとんでもない」と皆思う。ただ今の政治が徴兵制も視野に入れた方向で動いているということについては無関心。気がついたら、決まっていたという状況になってしまうだろう。

q      自分が中学生の時の生徒会活動を思い出してみたら、規約改正をやっている。くだらない規約はもうなくそうと。それを先生方も認めてくれた。今の生徒会は機能してない。民主教育とは名ばかりで、何もない。訓練の場としても機能してない。何をするかと言えば、「規約を守るためには何をすればよいか」ということばかり。

q      身近な人たちの中に政治へのアレルギーがある。公開討論会を大学でやりたかったが、「政治的なことはできない」と断られた。学生が政治を語らなくて何を語るの?これほどまでに、「政治的なことは怖いこと」と思わされてきているのはいったいどういうことだろう。

q      それでいて、国益とか国際的貢献という言葉にはアレルギーがない。

q      児童会・生徒会で、子どもたちの自主的な取り組みがなかなかできていない。自治を学べない。生徒会で制服の自由化に取り組みたいと思っても、議題にあげる前に担当の先生につぶされてしまう。そういうことが積み重なっていけば、「何を言っても変わらない」ということが、子どもたちの中に染み付いてしまう。 

今回の松戸の教育改革は、教育基本法の精神の匂いもない

q      為政者というのは賢いから、まず教育に手をつける。国が教育をいじるたびにおかしくなってくる。教育制度をどんどん変えてくる。こういう道のりをつくってきていた。私は、子どもを育てている時、松P研で教育基本法をすごく勉強した。皆で読みあったり、学習会をしたりして、教育基本法・憲法を守らなければならない、そのことによって子どもの教育が守られるということを学んだ。今回の松戸の教育改革は、教育基本法の精神の匂いもない。むしろ踏みにじるようなもの。今、松戸の中では戦い時だと思う。

q      先生が子どもを一人一人きちんと見てくれていたら、保護者は学校選択制について反対するでしょう。でも、子どもにとっていい先生は、学校の中に数えるほどしかいない。出会えない。

q      すべての学校で教育条件が整備されていて、いい学校ならば、親は近くの学校に子どもを通わせたいと思う。行政がやるべきことは、どこの学校も素晴らしい教育条件を整備していくことに力を注ぐこと。

q      私たちがそれを支えていく場合には、顔が見える先生と自分の子を通してしか見えない。先生と子どものコミュニケーションが取れている場合は、学校の統廃合をしなくていいと親は声を上げられるのではないかと思う。統廃合の是非を言う前に、その部分が語られなくてはいけないのではないか。

q      学校を選択したって、そこで親と先生がコミュニケーションをとって、学校をどういうふうにしていこうかというところに親が参加していかなかったら、問題は解決しない。今いる学校で、学校づくりに親が参加できるシステムを作っていかないと。

q      PTAがそれを担っていくところなのだが、なかなか機能していない。「こういう時にこそPTAが機能してほしい」と願っている親は増えている。現実にわが身に火の粉が降りかかってくるような問題だと皆がとらえている今こそ、教育とは何だろうと考える時だと思う。

q      PTA総会も話し合う場なのに、なかなかそういう場になっていない。そこで先生も親も発言できれば、お互いに何を考えているかわかる。先生が何を考えているかわからないから、親の中に不信感も生まれる。先生も親の考えていることが見えない。お互いが理解できなければ摩擦も生まれる。

q      学級懇談会での話し合いの中で、どういう先生か見えてくる。それが見えてくるような学級懇談会にしていかなければならない。その中で、話し合いのできる先生を見つける。そういう先生とどんどん議論をしていく。そういう先生と親がつながっていく。そういう努力を親はしていく必要がある。

q      「自己決定、自己責任」という松戸市の思う壺に、親たちがどんどんはまっていってしまっているようだ。若いお母さんたちが、自分たちがとても大切なことを放棄しているということに気づいてほしい。 

教育基本法は、使っていくことで意味を持つ

q      教育基本法が改正され、憲法が改正されたら、とんでもないことがどんどん進められていきそうで、とても怖いんです。

q      教育基本法も憲法も空気みたいな存在で、なくなって初めてその大変さに気がつく。でもそれでは遅い。自分や子どもたちの権利が侵害された時に、守ってくれるのは教育基本法であり、憲法である。そのことに早く気がつくべき。

q      先日の有栖川宮を名乗った詐欺事件で公安が動いていることにビックリした。通常の詐欺事件で公安は動かない。皇族の名前をかたっているから公安が動く。そのことに目を向けないと。怖いですよ。

q      学校教育の中で、いろいろな父母負担金を徴収されますね。その時、これは教育基本法では公費負担が原則と謳っているわけですから、基本法違反ではないかと行政に話し込んでいく。教育基本法をしっかり読みこなして、教育委員会は教育基本法にのっとって教育行政を行うということになっているのだから、基本法に違反していないかをしっかりチェックしていかなければ。ひとつひとつ、子どもの置かれた状況、あるいは教師や教育の置かれた状況と教育基本法を照らし合わせながら、教育委員会に言って行けばいい。そのことによって、教育基本法の中身が活性化し、日常化していく。教育基本法は、しまっておけば棚上げされてしまうが、使っていくことで意味を持つ。今度の松戸市版教育改革も教育基本法の理念とは違う中で論議されていること。

q      子どもにとって一番密接な担任の先生が、教育改革の中身を何も知らされていない。父母―校長―教育委員会というルートだけに矮小化されてきて、教職員はもっと怒るべき。教職員が置かれている条件は非常に貧しい。そのようなことを一つ一つ詰めていって、教育委員会がグーの音も出ないようにしていかないといけない。

q      親はどうかわかりませんが、子どもたちは地元の学校へ通いたいんですよ。それぞれの学校の教育条件が整えられるということはとても大事なことです。

q      行政はそういう努力を一切していないですからね。

q      それをさせる役割がPTAにあったはずなのです。

q      スウェーデンなどでは、親が三人集まってこれをやってくれと言うと、それをやらなければならない状況がある。親が話し合ったことが学校の中でそのまま反映される、100%反映されることは無理でも、一部でも反映されるような状況が日本にはほとんどない。

q      学力があれば出世できるということで、日本の近代教育はある意味成功してきてしまった。その幻想がまだ根強く残っている。今やっと、それが崩れ始まるところ。それでも何%かのエリートが必要だということで、親は子どもをそちらに向けさせようという、教育幻想が残っている。

q      近代の国家がめざしたものは、支配層から見れば学校は身分をどういうふうに振り分けるか、統合していくかといったことにしか利用していない。そのために学校をつくった。でもそのためだけだと学校教育が成り立たないから、「生きていくための武器になるんだ」などという理念をつけてきた。しかし、実際に機能しているのは、身分の配分。「努力すれば出世できる」というのを日本人はとても好きだし・・・。

q      「輪」とか「コミュニケーション」とかの力が生きていくために最低限必要だと思っている。それ以上の、身分を買うという発想はあまりなかった。

q      小・中学校の基礎的なところでは、自分をどう表現するか、人とどうやってうまく話し合っていくかということを身につけてほしいと思っている。それを親は願っている。いろいろな子どもや大人たちの中で、いろいろな力をつけてってもらいたいという願いで、学校があるのだと思ってきた。

q      いい学校、いい会社という明確な発想を持っている親はそれほどいない。大半の親は、子どもにより良い一生を送ってもらいたいと思っているだけ。負け組になるより勝ち組に入ってほしいと思うかもしれないけれど、その3%のエリートの中に入ってほしいと思っている親はほんの一握り。 

きちっとした教育をするために、教員にそれなりの身分を保障するというのが、教育基本法の趣旨

q      コスタリカのことを書いてある本を読んで、人を一番大事にしているということを感じた。そのためにどういう教育がいいのかを考えて、お金の使い方もそれで動いている。みんなで仲良く、みんなが生きていける社会というのをめざしている。日本の教育はその先にどんな社会をめざしているのか。経済の発展だけをめざしているのか。自分だけの幸せ、日本という国だけの幸せを考えているようだ。

q      松戸市のパートナーシップ検討委員会の最終提言を、明日(1026日)市長に提出するのだけれど、市民と行政のパートナーシップがなぜ必要なのかを最初に考えた。そして、「誰もが人権を尊重され、平和で安全な暮らしができるまちづくりをするために」パートナーシップが必要と位置づけた。その上で市民がどんどん参画できるしくみを作っていかなければならないと。これから社会を変えていける可能性があるのはそこだと思う。また、市民を安い労働力として経費削減のために使うのがパートナーシップではないと断言した。そこを乗り越えていくためには、市民がもっと力を付けていかなくてはならない。

q      コスタリカでの平和教育の構想を練っているのは、日本の文科省のようなところでしているのでしょうか。

q      「平和文化教育プロジェクトの理論的特徴は、学際性(=多分野の統合性)と身近さだ。現場の教師たちと国連平和大学のコラボレーションだけあって、実によく考えられている」(『平和をつくる教育』岩波ブックレットNo575より)

q      こうしたコスタリカの話を、先生たちは授業の中で取り上げることはできるのでしょうか。

q      このブックレットを書いた足立さんという方は、中学時代に先生からコスタリカの話を聞いて、それ以来コスタリカという国に関心を持ち、コスタリカに留学し、そしてこの本を書かれた。先生の個人的な取り組みはとても重要です。

q      大事なのは、学校の中で先生と子どもがどういうふうに関わっているか、親と先生がどう関わっているか、その中身。そういうところから子どもが豊かに育つものがつくられていく。それと同時に、それを保障していくしくみはみんなで作っていかなくてはならない。

q      いい授業をつくっている先生が、先生であり続けることが困難な状況もある。今の教育現場が、個人的にいい取り組みをしている先生がいられない場所になっている。それは大変なことだから、何とかしていかなくては。
きちっとした教育をするために、教員にそれなりの身分を保障するというのが、教育基本法の趣旨ですよね。

q      子どもたちはどんな先生がいいかよくわかっている。自分がわかるような授業をしてくれる先生が、一番なんです。