9月例会報告


『心のノート』って何?

「心のノート」は低学年用・中学年用・高学年用・中学生用の4冊あるけれど、自分のこと、友だちのこと、家族のこと、そして社会の規律を守ろうということになって、自然に対する畏敬の念になって、それから愛国心というような順序でどれも構成されている。学習指導要領の中で決められている道徳の内容と同じもの。これを読んで、余計なお世話というものもあるし、こんなに良い子良い子でみんなやっていたら息苦しいなぁというのもある。家族について書かれているところでは、本当に「余計なお世話」と最も強く感じた。「お父さんもお母さんはあなたたちのことを愛情を持って育てている」「そういう気持に感謝の念を持とう」なんてね。

家族というのはある時期に来ると壊れてくることもあるけど、それも家族。    

「あなたのことを世界中で一番大事に思ってくれているんだね」「家族っていいなと思うのはどんな時かな」
(『心のノート』低学年用)

これを読んで、親が離婚している子、親に虐待を受けている子ども、そういう子はどうするのだろうと思う。

子ども自身が家族をとても大事に思っていて、親に良く思われたい気持が強い。そんな子どもをますます追い込んでいってしまう。

虐待を受けていても、お父さん・お母さんが大好きで、お父さんやお母さんに気にいられるために一生懸命になっている。そんな子どものことを思うと胸がいたい。

これ以上子どもを追いこんでほしくない。
 

≪こういう時にはこう書けば、大人は喜ぶんだというような、

                  使い分けをますますさせてしまうもの≫ 

自分の中に醜い気持って、誰にだってある。友だちのこと好きだと思う気持と、口も聞きたくない気持と。家族に対してだってそう。大人だってそういう気持が同居している。大人だったら、そういう醜い気持があって当たり前とおもうし、それを何とか折り合いつけてやってる。両方ひっくるめて自分なのに、自分の悪いところ、良いところをはっきりと分けて、悪いところを持っている自分はいけないと思わせてしまう。

自分の気持をそのまま出せなくなってしまうよね。良いと言われることだけ出すようになってしまう。

「大半の子はこんなものは適当にあしらうだろう。こういう時はこう書けば先生が喜ぶだろうとかね。大人が望むような答えを書いて、パッパと済ませて、自分の心はガードするだろう。こんなものあっても影響を受けない子が多いだろうけど、でも、中にはまじめに大人の言うことを一生懸命聞こうとする子とか、いろいろ複雑な思いを持っている子とか、そういう子にとっては非常につらいものだよね」と娘が言っていた。その大半の子にだって、こういう時にはこう書けば、大人は喜ぶんだというような、使い分けをますますさせてしまうものだと思う。

私自身も昔、どういうふうに書けば先生に評価されるかというのが、子ども心にも分かっていて、自分ではそう思っていないことを答に書いてしまった。案の定、先生の評価が良かったのだけど、自分の本位でないことを書いてしまったというイヤな気持がいまだに残っている。嘘をついたような、心の傷として残っている。そういう思いをさせたくない。人の目を気にする子どもを育てようとしているのだろうか。

時間をかけて、大人になって行く段階で、少しずつわかっていくことなのに、それをわからせようとしてはいけないと思う。「こういうことって人に言われるのではなくて、自分で見つけたいよね」と娘も言っていた。

子どもたちの考えていることを大人たちが聞く場がこれまでなかったような気がする。悩みを打ち明ける場所がない。子どもの気持を聞いてあげる姿勢を大人が持たなくてはいけないと言っていけば良いこと。

「自分のことは自分で責任を持ってやりましょう」と言いながら、一方では「皆を思いやって、皆で支えあって生きましょう」と言っている。私が人のことを思いやって助けてあげようとしても、その人が「自分のことは自分でやらなければと言われているから、自分で何とかします」と言ったらどうするのだろうと、娘が言っていた。助けようと思っても誰も助けることができない。変だなぁ。

いろんな身近にいる人たちと話したり、関わったりする中で、「この人はこういうことを望んでいるのだ」と分かったら、自然にそれをするだろうし、自分もこういうことをやってほしいと言ってやってもらうという関係を作ることが先決だと思う。

 

≪教科書でも副読本でもない『心のノート』が国費で作られている。

                         7億2980万円もかけて≫ 

そして、ちゃんと子どもたちに配ったかどうか、その配布状況についての調査を行うことを命じ、その上活用状況についても調査するといっている。そこまでやるか。

『日の丸・君が代』の実施状況を調査するのと同じだよね。

こんな内心の自由を侵害するものは憲法違反。

歴協協事務局長の石山久男さんが「2000年3月15日、参議院文教委員会で、広島選挙区選出の亀井郁夫議員が、道徳の教科書がない、少なくとも道徳の冊子を作るべきではないかと質問し、これにこたえて中曽根弘文文部大臣(当時)が、副読本をつくると答弁し、ただちに予算化されたところから、『心のノート』作成が始まった。亀井郁夫議員は広島の日の丸・君が代問題などを最初に国会でとりあげ、広島の教育への攻撃をしかけた人物である」と『歴史教育月報』(2002年8月号)に書いている。この亀井議員というのは、日本会議国会議員懇談会のメンバーであるとも。

先程の石山さんの文章の中に日本会議の2001年度活動方針案も紹介されているけれど、その中に「B家族の役割、家族の義務などを規定した『家族基本法(仮称)』の制定」なんていうのがある。恐ろしい! 千葉県の男女協同参画条例案に自民党がけちをつけたり、夫婦別姓を認めなかったり…家族はこうあるべきという古典的な形態を死守しようとしているという感じ。

もう家族は多様化してしまっているのにね。なぜ今を見ようとしないのか。    

「私たちには、誰にでもよりよい社会に生きる権利がある よりよい社会をつくる義務がある」
(『心のノート』高学年用)

よりよい社会をつくる義務があるのではなく、よりよい社会をつくる権利があるのよね。主権者という言葉が一言も出てこない。そういう視点がない。憲法という言葉も出てこない。   

「どんな時でも約束や決まりを大切にする…これが人間のすばらしさです」
(『心のノート』中学年用)

これはとっても腹が立った。そのページには阪神大震災の時の避難所の写真が載っている。給水車の前にきちんと列を作って、待っている人々の写真。どんな時にも約束や決まりを守るのではなくて、どんな時にもうまくやっていくために、約束やきまりをその場に応じて作っていくというのが、人間の素晴らしさだと思う。初めから約束や決まりがあるのではなくて、こういうトラブルや問題が起きた時に、それを解消するために約束や決まりが出来てくる。あたかも約束や決まりが最初からあって、それを常に守らなくてはならないような、どんな悪い約束でもそれを守りつづけなければならないような、そんな印象を受ける。不条理なきまりがあった場合はそのきまりを変えようというものが出てきて当然だと思うけど、どんな時でもって言われると、どんな理不尽な校則でもきまりはきまりだから守らなくてはならないと言われるようなことを思い浮かべてしまう。

その場にいる人たちで、その場に応じたルールを作っていくということの素晴らしさだよね。状況はいろいろ変わっていくのだから。

「家族の役に立つことをしよう」と言って、玄関の掃除をしている男の子の絵が描かれているけど、これも頭に来るのよね。自分の家のことを皆で分担して当たり前のことよね。本来母親のやるべき仕事を代わりにやってくれているというみたいな感じ。家族で分担するのは当たり前なのに、家族のために役に立つことをしようなんて、『偉そうに!』と思ってしまう。

「家族で一緒に食事する」といったって、できない場合が多いよね。夕食の時間にお父さんが帰って来れない家庭も多い。ステレオタイプと言うか、ワンパターンだよね。型にはまった家族像を描いている。

『母の日』や『父の日』ということさえも言えなくなっている学校の中で、こういうことを出せる筈がない。押しつけがましい。 

≪このノートの先にあるものって何だろう≫

ジャーナリストの木附千晶さんが報告の中で、「この『心のノート』はカウンセリングの方法を徹底的に駆使しています。色彩的にも心に入りやすい色使いになっており、マインドコントロールのための細心の心配りがされています。内容は子ども達の心に内面化するように書かれており、子ども達はこの『ノート』を、自ら選んだと思いこまされるでしょう」という心理学者のコメントを紹介している。(子どもと教科書全国ネット21ニュースから)

同じニュースに戦前の修身の授業を受けた人の発言が載っているけれど、『心のノート』の内容は修身の内容に酷似していると。でも、修身は説諭の形を取っているけれど、『心のノート』は、自己点検を強いていると。この方が問題は大きい。

マインドコントロールというのがこのノートの目論見なのだろうか。

雑誌『世界』で野田正彰さんも言っているけど、子どもたちは周囲への適応というのは小さい時からずっとやっている。中・高校生だって、自分勝手な行動をしているようだけれど、そうではなくて、仲間内での互いの気づかいをして、仲間に嫌われないような合わせ方をしている。1人1人が勝手なわけではない。

仲間の中でも他の人と違う行為ができるというふうになっていれば、例えば自分1人でもいじめの行為に加わらないというような毅然とした態度を取れれば、ここまで子どもたちも苦しくなかっただろうと思う。仲間内の人に合わせようという気持が強いから、それがなかなかできない。

それなのに、もっともっと人に合わせてとか、他の人を思いやってとか言う。

子どもたちは自分の心をもっともっと奥底に閉じ込めてしまうようになってしまうだろう。そして、人とつながるという実感をますます持てなくなってしまうだろう。自分の心の中の、いろんなグチャグチャっとした気持は封じ込められてしまう。

これを使って、道徳の授業がやられるようになると、自分を押し込めていく子どもたちが息苦しくなるのではないかと私は心配。これを使ったからといって、今の子どもたちが「ハイハイ、国を愛しましょう」なんてなるだろうか。既に育ってしまった子どもに言わせれば、こんなのに影響されないと言うのだけれど。昔のように愛国少年が育っていくのだろうか。

学校って権力を持った社会。罰することもできるし、逆らえばどういう結果になるかというような社会。私はそこまで行ってしまうような気がする。

今は、インターネットでもいろんな世界中の情報が入ってくるし、戦前のような情報のない社会ではないから、子どもに対してそんな影響力ないと夫は言うのだが、そんなに楽観していてもいいのかと思う。

まさか戦前に戻ることはないと思っていたけれど、最近の雰囲気、法律が決まっていくような状況を見ていると、国民の誰も望んでいなくても、決まっていってしまうような状況を見ていると、そうも見ていられない。

教育基本法の改悪が現実味を帯びてきたからね。教育基本法が変えられたら、その次は憲法。

どうせ何やっても変わらない、言うだけ無駄というような、感じがあるのだろうか。政治的な無関心が強まっているのか。こんな筈じゃなかったと気がついた時にはもう遅いとなってしまう。心が括られることがなくても、身動きつかなくなるという世の中になってしまうかもしれない。

あまり考えさせないような人間に育ててきてしまって、最後の仕上げが『心のノート』か。

野田正彰さんが「道徳の教育とは『心のノート』の方針とは反対に、社会に向かって自分を統合していくプロセスでなければならない。子どもは発達し成長していくにつれて、社会への疑問を持つ。大人の言動への批判をもとに、考え、友人や教師や家族と討論するなかで、言動に一貫性をもち、統合された自分を生きることの大切さ、快さを知るのである。それなのに支離滅裂な文章を読まされる。」(『世界』10月号「『心の教育』が学校を押し潰す」より)と書いている。
私はPTAの中で自分の意見を言う場を与えられた。人の意見を聞いて討論する場ができた。その中で「自分はこういうことを考えていたんだ。こういうことをしたかったんだ」ということを確認できた。それを繰り返していく中で、自分の言っていることとやっていることがだんだん一環性を持ってきた。それを確認できたのはとても嬉しかった。突っかかってくることでも話し合うということはとても大事なんだなぁと思う。
 

≪この『心のノート』は、次に控える教育基本法改悪、
         その前の『君が代・日の丸』の法制化、そうした一連の流れの中の一つのもの≫ 

『心のノート』の中には、ふるさとを愛するとか国を愛するとか出てくるけど、ふるさとを持ってない人、国家に棄てられた人、国家に無視された人、国家の名のもとに殺された人のことをどう考えるのか。

ふるさとをイヤだと思う人、二度と足を踏み入れたくないと思っている人もいるはず。そのふるさとがダムの底に沈んでいる人もいる。日本の小・中学校に通っている外国籍の子どもたちのことはどう考えているのだろうか。

自分の子どもたちが松戸をふるさととして誇れるような町にしたいと大人たちが考えるのならまだ分かるけれど、子どもに言うことではない。

子どもたちはこれから自分が生きる場所を作っていかなくてはならないのだから…。

『心のノート』は全体に主語が変。主語がはっきりしてない。大人の思っていることを子どもに押しつけてるからかなぁ。

1人の男の子が朝起きて、家族に「おはよう」と挨拶して、トイレ行って、ごはん食べて、元気に学校へ行って、途中で会った近所のおばさんにもちゃんと挨拶して、健気で胸が痛くなる。一日中こんなふうに過ごしたら、疲れてしまう。何でも人のために進んでやって、頑張って勉強もして、係の仕事もお掃除当番もきちんとやって、家に帰ったら家の手伝いもやって…。

「そんなにしなくていいよ」と言いたくなるね。       

ないしょのはこ
 あなたの こころの 中に/ ないしょを こっそり しまっておく/ ないしょの はこはありますか
 その はこには どんな/ないしょが はいって いますか。
 その はこを/もって いること、/あなたは すきかな。/きらいかな。

(『心のノート』低学年用)

内緒の箱を持っていてはいけないと言いたいのか。内緒ごとはいけないよと言いたいのだろうか。内緒の箱を持っていることすら言いたくないよね。子どもがこれを読んだ時に、内緒の箱を持っているのはいけないことと感じてしまう。

これを使って道徳の授業をするとなると、先生は週授業計画で授業内容の予定を書かされるのか。『心のノート』を使うことを強制するような動きには、国民としてきちんともの申していかないといけないね。

この『心のノート』は、次に控える教育基本法改悪、その前の『君が代・日の丸』の法制化、そうした一連の流れの中の一つのものとして重大な意味を持つ。

国のありかたに関わることなのかな。

親は学校でこんな『心のノート』が配られているのを知っているのだろうか。このノートを見ているのだろうか。見た上で、何の問題もないと思っているのだろうか。ぜひ見てほしい。知ってほしい。