学校を選べるってどういうこと?
 学校を選ぶってどういうこと?


【西本貴子さん(品川区・父母)のお話】 

 学校選択を実際に経験した親として、その経験も含めてお話したいと思います。子どもは中学校2年・小学校6年・小学校2年の3人います。品川区で学校選択が始まったのが、3番目の子が幼稚園年中の時ですから、来年度で4年目ということになります。1番目の子が中学へ入学する時に中学校の選択制も始まりましたので、小学校と中学校の選択を同時に経験することになりました。

 品川区の人口は32万人くらい。小学校は40校、中学校は18校あります。出生率が0.8位で、少子化がかなり進んでいます。その結果1クラス5人とか8人というところもあります。学校は近いところに点在していて、隣の学区の学校のほうが近いということもあります。40校の小学校を4つのブロックに分け、その中から選択することになっています。中学校は品川区全体から自由に選択できます。ただし、小学校も中学校も自転車通学はだめ。徒歩通学か電車・バス通学となっています。

 1999年に開催された子育て集会で、教育関係者から「来年から学校選択が始まる」という発表がありました。それが9月後半のことです。それで4月から子どもたちが通う学校を選択する、この期間の短さにあわてました。「学校選択って何? 公立学校を選択するってどういうこと?」というのが私たち親の率直な感覚でした。
学校選択を導入するというのは、品川区の教育改革プラン21の1つという形で発表されました。 

学校の評判が噂になって広まって…

荒れている学校や小規模校は親から敬遠されて… 

選択しろといわれても、親は「公立学校はどこ行っても同じだから公立学校なのでしょう」という感覚なので、選びようがないのです。私は直感的に「多分噂が立つだろう」と思いました。それまでも、「あそこの学校荒れてるょ」「あそこの学校は何か変だね」というようなことが親や子どもたちの間では話題になっていましたから、そういうことがもっと露出するのではないかと心配でした。そして、やはり露出しました。そこはきちんと情報を伝えたほうがいいと考え、各小学校の校長宛にアンケートをとろうと郵送しましたが、断られました。学校公開もすでに終わっているところが多かったので、もう一度学校公開をしたり、急いでパンフレットを作ったりする学校もありました。しかし、結局は学校の評判が噂になって、いっぱい広まりました。そして、あそこの学校は荒れているというようなレッテルが貼られました。うちの隣の学校は昔から「非常に進学をする子が多い、優秀な子が多い」といわれている学校なのですが、そこに皆ドーッと行きました。

荒れている学校や小規模校は親から敬遠されて、生徒数の少ない学校は更に少なくなり、悪い評判の立っている学校は更に悪い評判が立つと、それがはっきりとしてしまいました。学校の先生たちはどうしたかというと、子どものぶん取り合戦という形になりました。校長先生みずから地域を回って、ビラ播きしていました。

区は、一年目から親や子どもたちがどういう学校を選んだかという一覧を新聞発表しました。区のホームページでも公開されました。何人抜けて、何人入ったかということが一目でわかってしまいます。何人も抜けていると、この学校はなんかあるぞと思われてしまいます。

区では、実際に学校選択を経験した小学校1年生の親にアンケートをとっています。学校を選択できて良かったですかという質問に対し、80%近い親が良かったと答えています。それを受けて、区民には受け入れられたと評価しています。

 中学校は定員枠を決めています。学区外から来る子どもたちを30人程度に制限し、それを超えると抽選になります。小学校の場合は枠がなかったので、親たちが気楽に意見交換して、友だち同士で同じ学校を選ぶということもできましたが、中学校の場合はそれができない。希望が多いと抽選になりますから、親同士選択する学校をオープンにしません。静かな腹の探り合いというのがありました。 

僕たちの学校は選ばれなかったんだね 

 小学校の場合は、上の子たちと同じ地域の学校を選ぶことに何の問題もありませんでした。小学校選択が導入された時に小学校5年生だった息子が、新聞などで話題になったのを見て、「僕たちの学校はあまり選ばれなかったんだね」とつぶやいたのがとても衝撃的でした。選ぶ方ばかり考えていたけれど、選ばれる方については考えなかったなぁと。学校全体を否定される、そこに通っている子どもも否定されることになりますので、やり方としてはまずいのではないかと思いました。その息子が中学校へ進む時に、当然近くの中学校を選ぶと思っていました。学区外の中学を希望するためには11月までに申請をしなければなりません(学区の中学を希望するときは申請する必要がありません)が、1120日過ぎになって、息子が近くの中学校に行きたくないと言い出しました。なかなか理由を話したがらなかったのですが、よくよく聞いてみると、同じ学校で荒れていた卒業生がその中学校へ行っていて、その先輩とけんかしたことがある、けんかした先輩のいる学校へは行きたくないというのです。親としても、子どもがそういう状況であるなら、その学校を見に行かなくてはいけないと思い、学校見学に行きました。学校選択になってよかったと思うのは、学校が開放的になったことです。学校公開が終わっていても、いつでもどうぞと歓迎され、教頭先生自ら学校案内をしてくれました。相談にものってくれて、これは学校選択制の効果だろうかと思いました。非常に懇切丁寧に学校説明をしてくれました。

息子がいやだという理由として、逃げるような感じがあったので、私は「逃げてはいけない、そこへ行っていじめられるとも限らないし、そこにとどまって頑張れるだけ頑張ってみたら」という思いがありました。もっと丁寧に子どもと向き合うべきだったのでしょうが、最後は親の立場として頭からゴーンとやってしまいました。「僕たちの学校は選ばれなかったんだね」と言った子が、中学校を選択する時に「僕みたいな子のために学校選択ってあるんでしょ」と言ったのです。「自分が嫌な学校に行きたくないのだから、行きたくない学校に行かなくてもいいように、学校選択ってあるんだよね」と。親としてはその言葉に納得いかない。そのような葛藤がありましたが、結局学区内の中学校へ進みました。案の定先輩とけんかしまして、いろいろありましたが、それはそれで仕方がないかなぁと思いながら過ごしています。 

今、小学校も中学校もレッテルを貼られている 

 学校選択のいいところは、学校が「いつでもWelcome」だということです。親が何か言うとすぐ反応する。ただ、選択するということは比較するということになりますので、噂が広まってしまったり、親子の間で葛藤があったり、本当に意味があって選んでいるのかというと意外とそうではない。進学校と言われている学校が今どうなっているかというと、他の学校では2クラス程度なのですが、1学年3〜4クラスになっています。集まるところにはどんどん集まっている。通常児童数は多くても400人弱ですが、そこは1000人です。そんな人数を見通して学校をつくっているわけではないので、施設がパンパンになっている状況です。ロッカーも置く場所がない。運動会をやっても、わが子がどこにいるかわからない状況で、こんなはずではなかったと言う親もいるほどです。男の子に髪の毛を引っ張られた女の子のお父さんは、「髪の毛を引っ張られるようなところを選んだ覚えはない!」と言いました。
非常に大きな問題だと思っているのは、「選んでやったのだから何かやってくれよ」という親の感覚。ある先生は「私たちだって選びたいよ」ともらします。
 今、小学校も中学校もレッテルを貼られています。子どもたちの様子で荒れているということではなくて、この学校だから荒れているのだろうと固定化されているのが現状です。冷暖房完備・温水プールがある、施設がきれいという中学校は希望者が殺到して、唯一抽選がありました。私立中学校へ行く子もいるので、最終的には全員は入れたようですが。小学校も中学校も、この学校はいい学校、この学校は何かあるぞという学校というのが数値的にはっきりしてしまっている。学校選択制が実施されてもう4年目になりますが、親は選んで当然になっています。今の時期になると、「どこへ行く?」という話が普通の会話になっています。元の学区制に戻すと言うと、また反発が出るでしょうね。 

【小関啓子さん(杉並区・元教員)のお話】 

 中学校を定年退職して3年目になります。
競争と市場原理と能力主義が子どもをいじめているということの様々な中に、学校選択の問題があるということをまず押さえておきたいと思います。
 杉並区は人口52万人くらいでしょうか。小学校44校、中学校23校、区立の養護学校が一つあります。学童クラブと児童館はすべての小学校区にあります。杉並というところは平均すると小学校に入学する時に私学へ行く子が10%、中学入試で私立へ行く子が3割近くいるという土地柄です。それでもこういう経済状況もありますから、公立高校へ進学したいと思っている親子もたくさんいます。杉並区の中学はまだ9校 制服がなく、全く自由服で通学しています。もともとのんびりしているというか、良くも悪くもいい加減、だから校長も教育委員会も締め付けない。比較的のんびりやっているというのが杉並のいいところだなぁと思っていました。
1994年に41歳の山田という松下政経塾の区長が現れました。これが諸悪の根源だったと私たちは思っているのですが。

20004月に「杉並の教育を考える懇談会」というのが発足しました。「杉並の教育を考える懇談会」だったのだけれど、マスコミは「選択自由化のための懇談会」だと報道しています。懇談会に集まった方たちは、まさに玉石混淆でしたから、いろいろなことが出ましたが、結局「…弾力化に当たっては、学校と地域の連携の後退や学校間格差の問題も考えられるため、保護者の理解を得ながら検討されることが必要」と答申しました。でもその時にはもうやるということになっていました。

 その年の11月に突然、教育委員3名が更迭されました。二人は一応任期は来ていましたが、それまで任期でやめた人はいないわけで、ずっとその方たちが引き続いていくのです。もう一人の人はまだ任期中だったのですが、「あの二人がやめるならもうイヤだ」と言って、結局3人やめてしまいました。その後出した人は目をむいてびっくりするような人だったというところから、まさに私たちの闘いが始まったというか、昼夜ない運動が始まりました。それは間違いなく翌年の教科書採択の布石だった。教科書採択については、ものすごい運動をして、結果としては「作る会」の教科書を採択させないということになりました。 

学校は国民の負託にこたえて運ばれているわけですから、

それに応える責任を学校が負っている 

20004月〜20013月まで懇談会をやって、答申を出し、20019月に「来年の1年生から学校希望制を実施する」と発表しました。杉並区では「学校希望制度」というのが正式名称です。「公立学校が選ばれる側に立つということが重要です。なぜなら今後学校は、保護者や子ども、地域から選んでもらえるよう、さらに教育の充実に向けて普段の自助努力や工夫を重ねていかざるを得ないからです」と区長は広報に書きました。ここに大きな間違いがあると私たちは指摘しました。公教育とは何かということの学びをずっと重ねていきながら、学校間の競争を煽らない状況をどうするのかということをやっていたのですが、区長はその後に重ねて、まさに教育改革国民会議の実践版、杉並版としての「教育改革アクションプラン」というのを出しました。今、松戸で出されているのと重なる部分もたくさんあるのかと思います。その一つが学校希望制だし、民間人校長だし、小・中一貫校(構造改革特区の教育特区で杉並が名乗りを上げており、それは企業がやる小・中一貫校でした)。3000万円もかけてたった一校だけ校庭を芝生にするということもしました。それで学校選択をさせるわけでしょう。公立学校というのは、設備が同じで、ソフトもハードも同じなら、選択をする必要は全くないのです。本来学校は選択するしないにかかわらず、学校は国民の負託にこたえて運ばれているわけですから、それに応える責任を学校が負っているのです。もし学校の敷居が高いとしたら、それは学校の問題なのであって、あちらの学校の敷居が低いからあっちの学校へ行くというような問題とは別にして、公教育のあるべき姿が根本にかかわっているということだと思います。 

学校選択制で大きくなってしまった小学校も中学校も大変な状況になっている 

 杉並の学校希望制は小学校・中学校とも隣接の28校の中から選びます。住んでいるところによって選択できる学校の数は違ってきます。結局何で選んでいるかは、品川区と全く同じです。私たちはそれを風評被害というふうに言いました。まさに、風評でしか選べない。10年前荒れていた学校を「あそこ荒れていたんだって」というので避ける。杉並の場合は、初年度40人を足きりにしましたから、小学校一つと中学校一つが抽選をしました。それで更に溢れてしまったので、その二つの学校は今年定員を30人に切りました。もともと どの学校も、指定校変更をやっています。今までも15%くらいの指定校変更がありました。そしてその指定校変更で大きくなっていた学校が小学校・中学校で1校ずつありました。私たちは最初 学校希望制で大きくなる学校を問題にしませんでした。「俺たち選ばれなかったんだよね」という、そこを一番問題にしていました。ある中学は自由服だし、生徒会活動は活発だし、小学校PTAのお母さんたちも皆ほめてくれるし、周りにも評判のいい学校だしと思っていたが、ふたを開けてみたら、入ってくる人より出て行く人のほうが圧倒的に多かった。その学校の校長先生が学校便りに、「本当にこの学校の子どもたちのよさや先生方の頑張りを僕が発信できなかった。そのことは校長として大変申し訳ない」というふうに書いています。それが選択制なのだと思います。

 選ばれた学校というのは選ばれた学校になってしまいますから、非常に管理と進路のための何かをしなくてはならなくなる。先生たちも競争をさせられるということになりますから、障害を持っている子どものお母さんは、「あそこへ行ったら、うちの子も生きていけない。だから隣の学校へ行く」と、自分の学校へ行けなくなる。そこのPTAのお母さんたちは「もう選択制をやめてくれ」と言っている。4年前にやっと地域の図書館がその学校の敷地にできたのですが、中学校が5学級になってしまったので、教室が足りなくてプレハブを建ててしまったから、図書館を別の場所に引越しさせて、その後を教室に区切ろうかという話が最近出てきて、住民が大騒ぎしています。非常に利用度の高い図書館でしたから。ですから、地元のお母さんたちは、「もう勘弁して。私たちが望んだ希望制ではないじゃない」と声を上げています。大きくなってしまった小学校も中学校も大変な状況になっています。

 私たちはこの学校希望制は小さい学校を作り出して学校の統廃合をつなげるものと思っていました。そのことを察知して、選択制を始めたときに区長は「これは統廃合につながる案ではありません」と広報に載せましたが、今「学級・学校規模検討委員会」というものを公募も含めてつくりました。私も応募しましたが通りませんでした。でも、ここで今何が議論されているかというと、大きくなってしまった学校をどうするかということです。先日の検討委員会を傍聴したら、一番小さい小学校の校長先生と、一番大きくなった小学校の校長先生が参考人として、それぞれ学校の状況について意見を言いました。
小規模校の校長先生は「確かに小さいから人間関係を膨らませるという点で言えば難しいかもしれません。だからそのデメリットを補うために、うちの学校は皆なんでも縦割りでやっています。穏やかに暮らしているんですよね。」と言っていました。たとえば、外部から講師に来てもらうにしても、1学年1クラスだから1日来てもらえばいい。もう一つの学校は5クラスですから、講師の人に5日来てもらわなければならない。学校の中は穏やかに、和やかに、開いている教室を全部使って、いろいろなことができる。

それにひきかえ、大きな学校校長先生はデメリットばかりたくさん上げていました。「校庭・体育館・プールなど、一人当たりの面積が13uしかない、区内の小学校の平均24uに比べるととても少ない。余裕教室は全くない。だから総合学習や生活科の時は、廊下を使ってやっている。PTAの会議室ももちろんない」などなど、いっぱい上げました。聞いていた検討会のメンバーが「いいですねぇ、小規模校は」と言っていました。小規模校を統廃合する必要は全くないです。町の人たちみんなが学校を育てようという立場で、協力的に活動してくれているという状況が現れていると思います。 

「公教育とは何か」ということと、「子どもにとって何が大事か」ということを

改めて考えていかなくてはならない 

 今年2年目になって、様々な問題点が出てきています。親が「選んでやった学校だぞ」と物申すのは結構だけれど、私は逆のことを心配しています。先生が何か起きた時に「選んできたのでしょう、もう帰れよ」と言わないか、心配しています。選んできてしまったがための子どもたちの軋轢を心配しています。そして、先生たちが余計な競争をしなければいいなぁと思っているところです。

 今のところ選択制が実施されているので、どうやって選ぶかというところで大人たちが賢くならなければと思います。親たちが実際どうやって選んだかというと、「友人・知人から情報を得た」というのが多いです。友人・知人ならまだしも、風評ですね。私たちは改めて「公教育とは何か」ということと、「子どもにとって何が大事か」

ということを考えていかなくてはならない。学校選択の自由化・規制緩和ということの中に隠されているごまかし・まやかしに、そこに私たちが間違えてもはまり込まないようにしないと、結局は子どもたちが「お前選んできたんだろう」とか逆に「選んできてやったんだよ」とか、そういうことが学校を作るのではない。そこを間違えないようにしないといけない。今 公教育潰しをしていますからね。それが最大の狙いですから。本当に公教育を大事にして、どの子にもちゃんと学力をつけてもらう、どの子もすこやかに伸ばしてもらう。できる子だけにお金をかけて、できない子はそこそこにというような公教育を作り上げないようにしないといけないと思っています。松戸は絶対に学校選択制を導入させないようにしてください。選択性は百害あって一利なしですから。何かあって困るのだったら指定校変更すればいいのですから。行政も自己矛盾を抱えていることがわかっています。住民と共に学校をつくると言っているのですから、その作るべき住民の子どもが違う学校へ行っていたらどうするのですか。 

【質疑応答とフリートーキング】 

     開かれた学校と言う点では改革が必要だと思うけれど、それと学校選択制の問題をごっちゃにして考えていくと、どうしても親にとっては選べるっていいという流れになってしまう。学校選択制の問題を親たちに理解してもらう運動をどうつくっていったらいいのか、難しい。

     鎌ヶ谷市の課長さんは、「希望する学校に行けば愛着もわき、地域とのつながりも増えていく」と言っている。地域を離れて選択すれば、地域への愛着は薄くなると素朴に思うのですが。松戸市の教育改革市民懇話会の中間報告では、「学校を核とした地域コミュニティづくりが大事だ」と言っています。そこは多くの団体や市民も同感していますが、学校が核になって日本の地域はあるのではないかと。学校選択制を導入すると、地域とのつながりは少なくなってしまうと思います。
新自由主義的な考え方で、市教委は盛んに「自己選択・自己責任」と言いますが、小・中学生にそれはないだろうと思います。彼らには学ぶ権利はあっても、選んだことへの責任を小・中学生に求めるというのは違うと思いますね。
あちこちで学校の統廃合が進んでいて、千葉県の御宿とか大滝など南の方は、全部中学校は一つしかない。選択も何もない。日本全体で考えたら都市部のほうが例外的。過疎の地域では公立中学校が一校しかなくて、選択の余地はない。そう考えると、選択に意味があるのか。やはり地域の人と教職員と子どもたちが一緒に学校をつくっていくというベクトルが働かないと、商品を選ぶように学校を選んだら、依存的な意識が芽生えてしまうのではないかと感じました。

     懇話会以降、松戸でも学校選択制の方向に行っているのではないかと危惧しています。学校そのものが市場経済の中に投げ込まれている感じがする。

     希望して入学したけど、入ってみたらどうも違うということで、元の学校に戻ることは可能なのでしょうか。

     (小関)まだそういう話は聞きませんが、そういうことは可能なはずです。ただ選択できるのは小学校1年と中学校1年の入学時だけですから、途中で変わる時は転校届けを出せばいいのです。いじめられたとか、不登校だとか、転校理由を出せば転校はいつでもできます。「選んできたんだろう」ぐらいのことは言われるかもしれませんが。

     教職員の異動は希望を聞いてもらえるのでしょうか。

     (西本)東京都全体での異動になりますが、品川は出たい先生がとても多くて、入ってくる人がいません。来るのは新採用の先生ばかりです。一つの学校に新採用の先生が23人来るというのは学校の中も大変なようです。

     (小関)これまで杉並というのは入ってきたいという先生の多いところでしたが、今後は品川のようになるのではないでしょうか。私は、「そんなことをしていると、選ばれる杉並だった学校が、先生が皆逃げてしまう杉並になりますよ」と教育長に言いました。子どもたちのために頑張るのならいいけれど、競争させられて、学校の体面のために教育活動をさせられのはごめんだと先生方皆思っています。

     議会で学校選択制について論議されなかったのでしょうか。

     (西本)品川は共産党を除いてオール与党の議会なので、通ってしまいました。議員は「学校の統廃合ではないよね」という心配はしていました。議員は自分の地盤がありますから、統廃合があると選挙にかかわってきます。だから「学校をつぶさなきゃいい」という感じでしたね。

     (小関)前の教育委員の方たちは学校選択のことや学校給食民間委託についてはゆっくり議論しましょうと言っていたのです。その方たちがやめさせられなければ、教育委員会でかなりストップがかかったはずだったのです。議会は文教委員会でかなり議論はしましたが、品川と似たようなものでしたね。

     学校選択制は高校ではもう完全に貫徹しているんですね。そこでいい学校、底辺校というランク付けがされて、その底辺校に位置づけられた子どもたちがどんなに絶望的な状況にあって、先生たちがどんなに苦労しているか。松戸では非常に危ないと思っているのですが、『特色ある学校づくり』ということをいっています。懇話会の中間報告を掲載した広報松戸でもそのことが前面に出されていました。懇話会で高倉会長が「学校選択制と結び付けているわけではない」と言っていましたが。品川の特色ある学校づくりはどうなっているのでしょうか。

     (西本)算数は習熟度別の授業をしています。2クラスを3つに分けていますが、単元ごとにそのクラス替えをするらしいです。子どもたちの自己申告によって分けます。この習熟度別学習というのは品川区のどこの学校でもやるようになって、それが特色のひとつとして出ています。品川では学校案内の冊子は一つのフォーマットになって出されていますが、その他にPTAが作るものがあります。10万円の予算が出て、PTAが学校紹介の冊子を作ります。広報委員会の仕事になっています。年々立派になってきて、親も競争です。とても大変です。

     先日、算数の研究指定校だった学校の公開があったのですが、そこで「文科省も基礎・基本と言っている。この学校はずっと算数の研究をしてきて、特色ある学校」と盛んに言っていた。あるいは転任してきた先生が、「前の学校は昔からずっと稲作活動をやってきた。うちの学校でもこれをやっていると言うものを作りましょうね。」と言う。特色ある学校とはこういうことなのだと思った。地域と一緒に学校づくりをしていこうと言いながら、そうした学校づくりをしてきたところが、選ばれていかない学校になってしまう。どういう学校をつくっていくのかということを父母と教職員で語り合っていかなかったら、表面だけの「算数やっています」「米を作っています」というだけの特色で選択するということになってしまう。

     地域で子どもを育てるということだけど、地域にあまり評判のよくない中学校がある。親としては、評判のよくない学校かどうかはどうしても最大の関心事になってしまう。

     (小関)杉並で学校選択が始まって、中学校選択の基準は二つだなと思いました。ひとつは、進路。あの学校は進学に熱心かどうか。でもこれは風評です。もう一つは学校が荒れているかどうか。今がそうかどうかという問題ではなくて、何年か前に問題があったかどうか。

     学校選択制になれば、校長先生や教頭先生が真剣に考えてくれるようになるのかと思う。

     それは学校選択制によって解決される問題ではなくて、その学校にいる子どもや親に対して学校がきちんと向き合っているかどうかという問題だと思う。きちんと説明したり、父母の意見を聞いたり、どういうふうに学校を作っていくかということを話し合っているかどうかということだと思う。学校選択制によって学校が開かれてきたというけれど、学校選択制にしなくても今学校を開こうと思えばすぐできること。今すぐ、学校を父母や地域に開いて、一緒に話し合いながらという関係ができればいい。

     でも何年もそのように働きかけてきたお母さんたちがいても、なかなか学校は変わっていかない。学校を変えていくのは大変なことだというのが頭にあるので、私はちょっと避けてしまう。

     この学校選択制というのは、学校不信とか教育不信をあたかも解決するかのように思わせてしまう。行政が自らの責任で、今の教育の問題に正面から向き合うことをしないで、その責任をどこかに置いておいて、学校選択制を導入する。今、言われたような思いをもつ親たちは多いと思うが、でもそれが問題の解決になるのかということを十分に話し合っていけたらと思う。

     (小関)教育課題ってすごく難しい。子をもつ親はみんなどうしようと思っている。どうしようと思っているから、もしかしたら選択制になったら、そのうちの一つが解決するかもしれないと思う気持ちはよくわかる。共感しながら、でも選択制で何かよくなるのかなぁと一緒の場面で考えていかないとなかなかわからない。とんでもなかった学校を7年も8年もかけて、みんなで作り上げていって、子どもたちがこの学校にいて卒業できて良かったと言えるまでになったのに、選択制が始まってみたら隣のすごい学校に皆行ってしまった。今までやってきたことは何だったのか、すごい突きつけられてしまいましたよね。校長やPTA会長とみんなで片寄せあって泣いちゃいましたね。それって違うなぁと思います。お母さんたちと一緒に本気になって語り合っていかないと、他ならない子どもたちの未来が深刻な気がする。

     (西本)私たちも集会とか学習会とかやろうとしているのですが、お母さんたちがまず来ないですね。関心を高めるということしかないと思います。選択制はかなり害が大きいですが、選択制が導入されて、「ちゃんと考えなくてはいけなかったのね」というきっかけは出てきました。選択制を肯定しているわけではないですが。

     教師は毎年入れ替わっていますし、同じ教科書を使って、学級規模も同じで、全部同じ条件でやっているので、学校の授業というのはあまり変わらないだろうと思う。でも、地域性というか、親が官庁や大企業で働いている家庭が多いところは、大半の子が塾へ通っていて、非常に競争意識が高いし、「学力」は高かったですね。親同士も常にお互いにさらけ出さないような競争意識の中で、学級での親同士のつながりを作るのはなかなか難しいところがあります。今いる学校は、全く正反対の地域性を持ったところです。
今の中学生はまるで幼稚園児のようです。それは特別な子ではなくて、社会の構造的な部分から出てきていて、ある学校の子どもだけ、ある地域の子どもだけということではなく、全体が抱える問題です。だから逆に、荒れていない学校とかちゃんとしている学校というのは私は疑ってかかりますね。そうするためには相当締め付けなければならないと思う。子どもたちと一緒に付き合いながらやっていくしかないと思っていますが、見た目はだらしないかもしれません。外から見たら荒れていると見られるのかもしれません。ちょっと抜け出してしまう子や教室に入らない子がどの学校にもいるのですが、それが噂になると「あの学校は荒れている」ということになってしまうのでしょう。

     (西本)進学校だと思って選んできた親は、PTA活動をしません。「自分たちは子どもを優秀にさせたいからこの学校を選んできたので、PTA活動を何でするの?」といいます。今PTAの総務をしている人たちはすごく大変だと言っています。パトロールも地域が広がってしまったので、やりようがなくなってしまいます。PTAの荒廃です。これも学校選択の弊害ですね。

     学校選択で、子どもも親も地域でバラバラになるという感じですね。特色のある学校というのは、その特色から外れている子どもはその学校から外れてしまいます。体育を特色にしている学校で、朝から体操服に着替えさせられて、そうしたくない子どもにとっては苦痛ですよね。そういう特色を出させようというのは間違いだと思います。そういう特色を作らないと予算もつかないというのも問題。

     (西本)選択制が始まって4年もたつと、親は選ぶのが当たり前になっています。今後どういうふうにしていくのかというのは難しい課題です。

     希望者が少ない学校に対してそれをどう増やすかということについて、行政は何かするのですか。先生を送り込むなどしないのですか。

     (小関)選択の自由化は「市場的競争を促進して、教育のシステムを能力主義的に再編する」のが目標だから、行政は決して平らにしようとは思っていない。突出するのと落ち込む学校を作るのが目標だから、もちろん先生を送り込むなどということはしません。むしろ先生の努力が足りない、校長先生の努力が足りないという学校の評価につながります。校長・教頭になりたくないでしょうね。

     学校選択制を考える時、やはり「公教育とは何か」ということを改めてきちんと考えなくてはいけないと思いました。自由に選択できて良いなんてボーッとしている間に、教育予算がどんどん削られて、子どもたちの学校教育の環境を良くするということが手抜きされてしまう。

     (小関)斉藤貴男さんが「機会不平等」という本を書かれましたが、たとえば品川で「こういう計画をした校長さんにお金を」というような、(教育の機会均等を骨抜きにするような)今そういう時代に押し込められようとしているから、選べるのがいいか悪いかというところにはまり込まないようにしないといけない。全体を議論しながら、その中の選択制とは何かを保護者や地域と一緒に議論していくことが必要だと思う。全体の教育状況を変えていかないと子どもたちは救われないと思っています。

(まとめ:浅井ゆき)