6月例会報告

どうするPTA
―しなやかに、ねばりづよく―

【清野初美さんのお話】

 現在、全国PTA問題研究会の事務局をしています。私自身は、31才と28才の子どもがいますが、もう2人とも独立しています。その上の子が小学校1年の時、最初の父母会で、委員になる人がなかなかいませんでした。特に学級委員長を引き受ける人がいなかったので、「じゃあ」と言って、引き受けたのがはじまりなんです。それからずっと、下の子が高校を卒業するまで15年間、ほとんど毎年、何かしらやっていました。小・中・高とわりと恵まれたPTAでした。誰かのごり押しで何とかなるというようなPTAではなかったので、幸せなPTA生活を送りました。いろいろな軋轢はありましたが、やりたいと思うことは殆どすべてできました。やればできると思ってましたから、なおさらいろいろやろうという思いでやってきました。 

≪PTAとは、子どもたちの幸せのためにある自主独立の社会教育関係団体≫ 

 学校の付属機関では全くありません。でも学校の付属機関だと思っている方が多くて、活動も学校から束縛されたり、自主規制したりということがかなりあります。自主独立の機関なのだということが皆の中に根づいていればと思います。

 それから、PTAは学校教育はもちろん、教育をめぐる政治、経済、社会等の問題の認識や理解を深め、子どもの教育環境を整えるために親と教師が協力して、いろいろな方法で考えたり、学習したり、活動したりするところです。うちの子たちの時には45人学級だったので、40人学級にしてほしいという署名をPTAを上げて取り組みました。かなり大規模にやりました。それから教育予算要望書というのをPTAが行政に出しますよね。P連が主体になって、各学校から要望を募って出しています。例えば、体育館が古いから新しくしてほしいとか、教師をもっと増やしてほしいとか、栄養士をちゃんと配置してほしいとか、そういう内容を出しましたが。そういう学校予算についての要望をPTAも一緒になって出していました。そういうことこそ、P連でやることですね。PTAが直接お金を出すのではなく、行政に要望していくのがPTAの役割です。

 PTAというのは、まさに成人教育の場なのですが、現状としては成人教育とか文化教養部というのがない学校が多くなっています。PTAとしてどういう活動をしていかなくてはならないのかというのは、学習して初めてわかることです。先生たちもPTAについての勉強は大学で全然してきていません。自分が赴任した学校のPTAでそういうことが学べると良いのですが、これも難しくなっているかもしれません。でも頑張ってやっているところもあるし、少しでも機会をとらえて教育を学習していかないと、世の中の移り変わりが激しい時に、本当に子どもにとって良い世の中になるというのは考えられないので、PTAはとても大事な場だと思います。 

≪やりたい人が入ってやりたいことができるというのが一番大事≫ 

 PTAは自主独立の社会教育関係団体なので、任意団体なんですね。ですから強制加入でも自動加入でもなく、本当は任意加入で、やりたい人が入ってやりたいことができるというのが一番大事だと思います。小学校に入学した時に、PTAの説明を受けた上で、申込書をもらって、そこに自分の名前を書いて入会するのが当たり前なのですが、それがなかなかされていません。それから、世帯で会員になるのが多いと思いますが、父親・母親が別々に自分の名前で会員になるのが本来だと思います。私が入った小学校も民主的なPTAで、父親会員・母親会員でした。入学式の時にPTA会長が「お父さんも御母さんもぜひ会員になって下さい」と言われたので、素直に夫と私2人で会員になりました。でも、途中で会計の仕事が煩雑だとか、そんな理由で、アンケートをとったり、暗くなるまで運営委員会で激論を交わして、その末で、父親会員・母親会員はだめになりました。自分の名前で入るというのはとても大事なことだと思います。今でも個人会員の所もあるようですが、殆どは世帯会員ですね。ひどいのは、子どもの数とか口数とか。それは最悪ですね。 

≪会員はすべて平等、横並び≫ 

 校長といえども、先生といえども。会長といえども、副会長といえども。会長・副会長などというのは、役割分担にしかすぎません。けれど、会長の一声で決まってしまうとか、PTAでちゃんと決めたにもかかわらず校長の一声でそれがひっくり返ってしまうとか、そういうことは未だに聞きますよね。だけど、PTAは本当に平場です。横並び。私が関わった小学校のPTAの会則には、注記として「校長も一会員です」ということが書かれていました。会費もきちんと払わなくてはいけないとか。会員は皆平等ということを、もっと皆がきちんと認識してPTA活動をすれば、もっと違うものになるでしょう。 

≪役員選びはとても大事≫ 

 やりたいことを皆がやれるPTAにしていかなくてはいけないと思います。やりたいことがやれないというのが、委員のなり手がないということの1つの原因だと思います。例年通りに無事に終わればいいというような感じでやっているところが多いと思いますが、PTAほど今の社会情勢と関わってくるところはありませんから、去年やったけど今年はいらないとか、去年はやらなかったけど今年はこういうこともやろうとか、皆が言いあって、それを実現して行くPTAになっていかなくてはならないと思います。

 そういう時に役員のところで、つぶされてしまうということがありますね。役員をどう選んでいるかということはとても大事です。一番多いのは、会員から推薦をしてもらって、その推薦された人たちに推薦委員が聞いていくというやり方でしょうか。その推薦された人が会員に公表されればまだ良いのですが、みんな密室の中で行われてしまう。票数が多いにも関わらず校長先生にとってなってほしくない人には交渉に行かないとか、票数が少なくても校長先生には何も言わないだろうという人に交渉したり、そういう話を未だに聞きます。

 私が関わったPTAでは、公職選挙と同じです。各クラスから1人以上候補者を出して、それを総会の場で、会長は会長で選挙します。一番得票の多い人が有無を言わさず会長になります。全部の出席者が投票すると、選挙管理委員が投票箱を別室に持って行って開票し、その結果を発表します。次に残りの候補者から副会長2人を選びます。やはり得票の多い人2人が副会長になります。順番に投票して決めて行き、最後は会計監査を選びます。全部で4回投票することになります。期末総会は投票の場になります。これは小学校の時のやり方です。中学校では、役員団として7名選んで投票します。得票数の多い順に7名が役員になり、その役割分担は役員間の互選で決まります。一番大変なのは、クラスで候補者を出す時です。クラスで揉んで候補者を出すことは日常のPTA活動にとても影響してきます。当然校長に物申す人も選ばれますし、PTAの側に立った役員になれます。選挙の方法でやると、校長とか会長の介入する余地は全くないですし、他の会議には校長は出席できますが、選挙管理委員会には校長は出席できないという一文があるんです。

役員選びがブラックボックスではない、会員に見えるところで行われるということが大事なんですね。目の前で決まるというのは凄いドラマです。3月の総会の出席者はとても多かったですよ。候補になった時点で覚悟はできます。高学年の親が選ばれることが多いですし、そうやって順番に皆がやっていくほうが、PTAのことを皆がわかって良いと思います。誰でもできるPTAでなければいけないですし、誰がなっても良い訳ですし。でも、クラスで候補者を出して行く時、とても苦しみます。苦しんで候補者を出していますから、無関心ではいられない。無関心でいたら、選んだ人に申し訳ないという気持になります。

 1970年前後にこの方法に変えています。検討委員会で話をして、それをクラスに持って行って意見を聞く。またそれを検討委員会に戻して、ということを何回も繰り返してやっていたようです。その頃、毎月学級PTAが開かれていました。そのエネルギーは凄いですよ。毎月学級PTAが開かれていましたから、PTAのことを皆が知っていたんです。コミュニケーションもよくとれていました。それがだんだん減っていって、顔を合わせなくなると、委員のなり手もいなくなってくる。こうしたやり方で学級PTAが開かれているところは今少ないでしょうね。学校の保護者会とセットになっていて、学級PTAだという意識もないかもしれません。 

≪なぜ委員や役員のなり手がいないの?≫ 

 今、言ったようなこととも結びついていますし、またPTAの委員をやるよりはパートに出た方が良いという人も増えていますし、PTAをやっておもしろいという充実感も得られないんだと思います。最初にPTAに関わった時に、おもしろかったとか、充実感とか、自己実現できたとか、そういう感覚が味わえれば又やってみようと思えるのではないでしょうか。そういうことも得られないから、加速度的に無関心になっていってしまう。それから、我が子だけ良ければいいと思う人がとても増えてしまいました。親自身がコミュニケーションを取れなくなってしまっている。そんなことできっと委員のなり手がいない。PTAのある意味を皆がわかっていれば、もっと違うと思うのですが。教育内容が大きく変えられてしまって、本当に子どもにとっていいことだろうかというこういう時こそ、PTAで皆が話し合っていければ良いのだけど、そういう力を発揮できてない。それぞれのPTAが頑張っていれば、これほどひどい教育状況にはならなかったという気がします。 

≪これからのPTA≫ 

 PTAをスリム化する時に、 本当は削った方が良いところを削らないで、削ってはいけないところを削っているPTAが多いですね。最低限学級PTAと地区PTAと広報委員会はどうしても削ってはいけないと思います。でもこういうところの活動が削られたり、形骸化してたりしていますね。成人教育委員会もあったほうがいいと思いますが。

 これからはもっと子どもたちの意見を直接聞いて、PTAとして何をしていけば良いかを考えていったほうがいい。中学校のPTAに関わった時に、PTA役員と生徒会の役員との話し合いを持ちました。率直にPTAをどう思っているかを聞いたり、生徒総会を傍聴したり、とにかくいろんなところに親が行って子どもたちを実際に見るということをしました。

 それから今総合学習が始まりましたが、そこへのPTAの関わりというのが大事ではないかと思います。その際もPTAは自主独立の組織で、学校の付属機関ではないということをきちんと抑えて関わっていくことが大事です。子どもにとっても、いろいろなことをしている大人がいるんだということがわかるだけでも、親の生き方を知るというところで、とてもいいのではないかと思います。

 学校に行っている子どもの親だけではなく、教育に興味のある人もPTA会員になれる方法もあるのではと思います。全P研としては、市民PTAということを何年も前から提言しています。1948年に文部省が全国のPTAに配布した『父母と先生の会 参考規約』というのがあるのですが、その中には「その地域に在住し、特に教育に関心もつ者は、希望により入会を認められる」という一文があります。地域のボス・顔役という形ではなく、きちんと子どもの教育に興味・関心がある人が、PTAの会員になって、子どもたちの親と一緒に教育について考えられれば、もっといろんな人の意見が取り入れられていきます。特に少子化で会員も少なくなっている時ですから、そういう力もいただいて、もっと教育について話し合えるようにできたらいいと思います。

横浜市本牧小学校の場合

 横浜市の本牧小学校では、今年10年目になる新しい小学校ですが、開校する時にPTA設立準備委員会を作って、そこで保護者と教職員に対して、どんなPTAにしたいかというアンケートを実施したそうです。「負担の多い役員は減らしてほしい」「やらされるPTAはイヤ」「行きたくもない行事に動員されたくない」というのがあって、それを受けて常置委員会を作らず、活動は企画委員会で話し合って決めるという方法にしたそうです。企画委員会のメンバーは、連絡委員として各クラスから2人、企画を担当する活動委員会の代表、それから校長で構成しています。会員の誰でもが企画を作って、企画委員会で認められれば活動ができるということになります。定員も任期も自由で、1人の人がいくつのプロジェクトに参加しても良いということです。広報プロジェクトをはじめ、ブッククラブ(本選びをする)、サタデークラブ(仕事を持っている人たちを中心に活動)、本牧クラブ(帰国生のサポートや国際理解)、本牧探訪(地域紹介とかツアーを企画)などのプロジェクトが行われ、自分たちがやりたいことをやろうという形でPTAが動いています。いろいろな人が関わって、いろいろな参加の形ができています。2000年度には企画行事数が123、参加者は延べ6,552人いたそうです。多い年には16のプロジェクトが発足したそうです。とても大事なことは、例えば新聞づくりをすることになったら、新聞づくりをしたいと言った人たちにすべてを任せる。企画委員会は口を出さない。データをきちんとって、費用や参加者、スタッフの人数などを記録して残しておく。気負わなくても、期間限定でもできるので、とてもうまくいっているようです。例年通りのPTAではなく、毎年新鮮な企画を打ち出して実現することが可能になります。 

草加市八幡小学校の場合

 PTAをいろいろ考えようと話し合った結果、委員を全部なくしてしまったんですね。それまであった広報委員会、厚生委員会それと教養委員会をなくしました。各クラスから学年・学級委員を1人、各地区から地区委員を1人というのは以前のままですが、総合活動委員会というのを新しく設置して、各クラスから一名以上選出することにしたそうです。総合活動委員会というのは、やることは自由で、総合活動委員会の中の誰とどういうことをやってもいい。広報をやってもいい。昨年度が1年目だったのですが、各クラスから1名以上ということなので、多いクラスは6人も出たそうです。平均すると各クラス2・3名出たそうです。全部で60名くらいの規模になった。やったことは、1年生の総合活動委員は草むしりの手伝いをしたそうですが、3・4年生は合同の講演会をしました。PTAのOBにも声をかけて、とても好評だったようです。委員のなり手がないということでこういう形にしたのに、1クラスから6人も出てくるというのは、やりたいことができるというのが魅力なんでしょうね。 

和光市のある小学校の場合

 あるお父さんが初めて総会に出席してショックを受けたそうです。一括提案で一括で質問を受けて、採択を拍手で決めたということにショックを受けたそうです。これはおかしいと、PTAに関わっていろいろあったそうですが、結局PTAは休会になりました。でも希望者が参加する組織検討委員会があって、そこで3年間かけて話し合い、活動や組織の見直しや会則の見直しをして、最終的に学級委員会と地区委員会だけにしました。そして会費は年間200円にしました。それは運営委員会からの印刷物の費用だけのお金だそうです。あとは活動をする度に、その都度参加する人に活動費を徴収する。これは極端な例かもしれませんが。

 このように各地で、既成の発想にとらわれないPTA活動をしているところがありますが、それぞれにPTAで、自由に柔軟にPTAのあり方を考えていったら良いと思います。 

【フリートーキングから】

PTAを民主的にやろうということを一生懸命やってきたが、PTAのためにPTAをやっているという雰囲気になってしまった。PTAの民主的な形を維持するのに一生懸命になっていた。そのために何をすればいいかということを考え合ってきた。民主的とは何かとか、人権についてなどは学ぶことはできたが、そこから出ることはできなかった。会費の使い方をガラスばりにしたいと思ったが、対立の構図がしっかりできてしまって、解明までできないで終わってしまった。PTAにとらわれないPTA活動というお話を聞いて、私自身いろいろとらわれていたと気づきました。

PTAの根っこだけはおさえておかないと、おかしなものになってしまいますが、その根っこをおさえていれば、あとは何をしてもいいと思います。

今年、校長先生が『学校経営説明会』をしたいということで、PTA総会の前の1時間で「こういう教育をします」という話をしたんですが、校長先生は道徳の先生なので、道徳教育を学校の特色にしたいと、文科省が作った「心のノート」を全員に配布して、道徳の授業の時に勉強させますといったんですね。そのあと引き続いてPTA総会だったので、予算などはすぐに済んで、先生方からも「学習指導要領が変わってからとても疲れている」「目の前にいる子どもたちが大事だから、何とかしていきましょう」というような意見が出されて、総会がいつになく教育について考えられた場になりました。これからもいろいろ話し合っていきましょうというふうになってとても良かったです。

PTAは教育を本旨というのがあるのですから、教育が語られなければPTAではないですね。

先生もPTAがあることで、自分たちの教育活動が支えられる経験をすると、PTAに協力的になりますね。

PTAが民主的でないと、職員室の中も民主的ではないですね。それはつながっています。無関係ではないですね。はっきりとは見えないけれど、PTAは子どもの教育に関わっています。 

【杉並区の学校希望選択制について】

 今年度から杉並区では、小・中学校で学校希望選択制が導入されました。去年1年間、校長とかP連の会長とか、私立の校長とか学識経験者などで構成される『杉並の教育を考える懇談会』というのが組織されて話し合われたのですが、そこでの結論は「まだ時期尚早だし、もっと慎重に考えた方がいい」というものでしたが、それにもかかわらず、今年から導入されてしまいました。

その結果、ある中学校では入学希望者が殺到しました。区域外から93名も希望者があったので、その内36名を抽選で入学させることになりました。風評によってですね。余りに希望者が殺到したために、プレハブ校舎を建てました。しかも、少子化ということで数年前に教室を減らして、区立図書館を敷地内に併設してるんですね。ますます校庭は狭くなってしまいました。

希望者が一番多かった小学校の場合、新1年生160名のうち53名が区域外からの希望者です。

希望選択制というのは、自由に選べると、一見良さそうに思えるのです。でも何を根拠に選ぶのか。実施されたら、良く言う人はいません。それから、選ばれなかった学校の在校生は傷つきますね。抽選で入った場合に、子どもは私立の学校に受かったような気分になるのではないかと危惧する人もいました。抽選ではずれた子どもはどうなるのか。

蓋を開けて見たら、希望者が殺到するところとそうでないところが出てきて、施設面でも十分なケアができてない。公教育なのだから、どの子も同じようにされないといけないのに…。こういうことをPTAで話し合わなければいけませんね。