12月例会報告
教育基本法をなぜ変える?
【青木敏之さんのお話】
非常に簡潔で、声に出して読んでも5分もかからない、コンパクトな教育基本法ですが、戦後の教育の理念を明確に示しているものですね。国や教育がこぞって子どもたちを戦場へ送り出していった戦前の教育への痛切な反省の下に、この教育基本法が生まれていて、戦後の教育の重要な理念を示している法律になっています。
第1条では「人格の完成を教育の目的とする」とありますが、つまり国とかあるいは財界からの要求とか、そういうことのために教育をするのではなく、子どもたちのひとりひとりの幸せのために教育がある。この第1条は基本法の中でも、非常に重要な位置を占めている条文だと思います。
第3条(教育の機会均等) 特定の、お金のある人とか、身分的に高い人とかということではなく、全ての国民に対して教育の機会均等が保障されなくてはならない。これも戦前と大きく違う、戦後の教育の理念を明確に示している重要な条文だと思います。第1項に「全て国民は等しく其の能力に応ずる教育を受ける機会を」と書いてあって、よくここのところが問題にされます。「これまでは等しくということばかりが強調されていて、能力に応ずるということが欠けていた。もっと知的なこれからの国際社会、情報化社会の中で、創造的な人材を育成するためには、能力に応じた教育をしなければならない」と。
「等しく能力に応ずる教育」とは何なのか、ここをもう一度考えてみる必要があると思います。ひとりひとりの子どもは理解のしかたも違うし、理解の早さも違う。得意・不得意も違う。障害のある子どももいる。そういう子どもたちを能力別に分けて、この子たちにはこういう教育を、というふうにすることが能力に応じた教育では決してありません。色々なハンディキャップがあったり、理解のしかたが違ったりということは大前提として、ではその子のためにどういう条件整備をしたら、等しくその子の能力を発揮できるか、そのために手だてをきちっとしろというのが「等しく能力に応じる」ということだと思います。普通学級(これもおかしな言い方ですが)に色々な障害を持つ子どもが入ってきた時に、障害を持つ子どももそうでない子どもも、それぞれの能力が発揮できるような条件整備がされているかというと決してそうではない。同じ教室にいて一つの勉強をする時に、もし障害を持つ子どもが同じような理解の仕方ができないのだったら、その子が一定の学習の目標を達成するために1人別の先生をつけて、全体の指導をする先生と同時に、アドバイスをしながらもっとフォローする。手厚い条件整備をすることによって初めて、色々な理解の仕方や個性や条件が違うけれども、等しい教育が受けられるのではないか。等しく能力に応じてというのはそういう意味であって、それぞれを別々なところで別の教育をする、出来る子にはより高度な中身で、そうでない子にはそれなりの中身でということを、教育基本法第3条で言っているのではない。
第6条「法律に定める学校は公の性質を持つ」ということはどういうことか。基本法に沿って考えれば、教育は人格の完成を目的にするわけだから、人格の完成を目的にするということが法律に定める学校の最大の条件。
第10条(教育行政)も非常に重要な基本法の理念を示しています。教育行政は、学校やその教育内容に介入してはいけない。教育条件を整備するということに厳しく限定している。これは戦前、国を挙げて教育内容に介入し、国への忠誠心を教育の中で進めていったということへの痛切な反省の下に生まれたと考えています。
今回の教育基本法の見直しでは、教育行政の役割ということに関して、かなり踏み込んだ大きな改悪がされようとしています。
第11条は補則となっているのでおまけのように思ってしまいますが、補則でありながらきちっと第11条とついている。教育基本法が土台にあって、基本法の理念を生かすために色々な法律が生まれている。だから教育基本法が教育の憲法といわれ、日本国憲法と同様に非常に重要な法律といわれている、その理由を示しているのがこの第11条です。
今回の中教審の中間報告では、教育の内容や教育のあり方に非常に介入する中身が、教育振興基本計画として盛られています。今後最終答申に向けて、「諸条項を実施するために、教育振興基本計画を設置して行う」というような文言がこの11条に付け加えられる可能性があります。そうすると、教育振興基本計画をいくらでもいじることで、国によって条件整備をどうにでも変えられてしまう、変えたいときにいつでも変えられてしまうということが考えられます。
中間報告には、振興基本計画に盛り込む施策の基本的方向としていろいろなものがのせられています。
たとえば、「確かな学力の育成」の項目には、学力テストの実施、習熟度別学習の実施など。「柔軟な教育のしくみの導入」のところでは、学校選択の適切な実施、やり直しのきく開かれた学校システムの検討など。その他、学校評価と情報提供、心のケアの充実、特色ある学校の設置、道徳教育の充実、ボランティア活動や自然体験活動などの奉仕活動・体験活動の推進、情操をはぐくむ教育の充実、国家・社会の形成者としての資質を養う教育の充実、郷土や国を愛する心を育む教育の推進など、こういうことが教育振興基本計画の中にいっぱい盛り込まれている。教育の中身に不当に介入する内容が盛りだくさんなのだけれど、そのことを可能にするために教育基本法第11条に、「教育振興基本計画を策定して具体的な実施をする」という文言を入れてくるのではないか。非常に巧みに教育内容への行政の介入が進められていく可能性があるので、これも重視していかなくてはいけないと思います。
11月14日、中教審は教育基本法改悪の「中間報告」を発表しました。そこには、
・ 新しい時代を切り拓く心豊かでたくましい日本人の育成を。
・ 国境を越えた大競争時代に、国際競争力を発揮するために、知の世紀をリードする創造性に富んだ多様な人材の育成を。
・ 21世紀の国家・社会の形成に主体的に参画する日本人の育成のために、「公共」に主体的に参画する意識や態度を涵養し、伝統、文化を尊重し、郷土や国を愛する心を持つこと。
などが、繰り返し強調されています。
教育基本法を変えようという要求はこれまでにもありました。そして、とても残念なことに戦後の文部行政は、教育基本法の理念を学校や家庭・地域の隅々にまでいきわたらせるのではなく、骨抜きにすることに力を注いできました。今日は、第一に学校で勉強する内容を定めている「学習指導要領」の歴史をたどりながら、そのことについて一緒に考えてみたいと思います。
これまでは正面から教育基本法改悪に着手することが出来ずにいました。しかし今回は、政府が本腰を入れて改悪しようとしています。それはいったいどうしてなのでしょうか。二つ目にはその点について話し合い、教育基本法を守り生かしていく私たちの力にしていきたいと考えます。
学習指導要領の歴史
1.
第1回(1947年版)
表紙には「思案」、内容は「手引」であると書かれていました。非常に重要な中身が書かれていますので、長いですが引用します。
−(前略)これまでとかく上の方から決めて与えられたことを、どこまでもそのとおりに実行するといった画一的な傾きのあったのが、今度はむしろ下の方からみんなの力で、いろいろと、つくりあげていくようになって来たということである。これまでの教育では、その内容を中央で決めると、それをどんなところでも、どんな児童にも一様にあてはめていこうとした。だからどうしてもいわゆる画一的になって、教育の実際の場での創意や工夫がなされる余地がなかった。 (中略) もちろん教育に一定の目標があることは事実である。また1つの骨組みに従っていくことを要求されていることも事実である。しかしそういう目標に達するためには、その骨組みに従いながらも、その地域の社会の特性や、学校の施設の実情や、さらに児童の特性に応じて、それぞれの現場でそれらの事情にぴったりした内容を考え、その方法を工夫してこそよく行くのであって、ただあてがわれた型のとおりにやるのでは、かえって目的を達するに遠くなるのである。またそういう工夫があってこそ、生きた教師の働きが求められるのであって、型のとおりにやるのなら教師は機械に過ぎない。そのために熱意が失われがちになるのは当然といわなければならない。これからの教育がほんとうに民主的な国民を育てあげていこうとするならば、まずこのような点から改められなくてはなるまい。
この書は、学習の指導について述べるのが目的であるが、これまでの教師用書のように、1つの動かすことのできない道をきめて、それを示そうとするような目的でつくられたものではない。新しく児童の要求と社会の要求とに応じて生まれた教科課程をどんなふうに生かして行くかを教師自身が自分で研究していく手引きとして書かれたものである。(後略)−
戦前の教育がどのように行われていたのか、戦後新しくスタートする教育をどういう理念で、どういう方向で進めていくのかということが、文部省の発行した指導要領に明確に書かれています。しかし、これもあくまでも試案であり手引き。学校の教師や地域の要求に応じていくらでもやっていくというのが、1947年、基本法が成立した時と同じ時の第1回目の指導要領でした。それから数年毎に学習指導要領が変わっていきます。
2.
第2回(1951年版)
●「各教科に全国一律の一定した時間を定めることは困難である」として、教科を4領域に分け、それぞれの時間を全体に対する比率で示す。(例)国語と算数で、35%〜40%。
●「学習指導要領に示されたものよりも、いっそう優れた指導計画や指導法を、教師が発展させることを希望したい。」
●小・中の社会科(55年度)と高校の一般編(56年度)から法的拘束性を主張し、「試案」が消える。
少しずつこのあたりから、学習指導要領も今言われている法的拘束性などの様々な縛りがかけられてきています。
3.
第3回(1958年版) 学習指導要領が大きく変わったのはこの第3回からです。
●文部省の官報に告示したことをもって、学習指導要領には「法的拘束力」があるとした。指導要領に沿って授業をしなければならない。締め付けが始まりました。
●戦後初めて、学校に「日の丸・君が代」が持ち込まれる。
●目標に「人間の育成」ではなく、「日本人の育成」を掲げた「道徳」の時間の特設。
●教育内容と授業時間の増加による「詰め込み教育」。
(例)小学校低学年で平均年間20〜40時間の授業時間の増加。
詰め込むことによって、全ての子どもにという発想がだんだんなくなってくる。どの子にも等しく学習の目標を到達させようということではなくて、詰め込むことによって出来る子は残って来い、ということが始まってきました。
4.
第3回の学習指導要領を生んだ背景
@1956年、鳩山内閣が「臨時教育制度審議会設置法案」を提出。(審議未了で廃案)
→当時の清瀬文部大臣は、教育基本法には「国家に対する忠誠心がない」とし、それを盛り込むために「臨時教育制度審議会」を設置するのだと説明しています。「……日本の教育といえば、国家に対する忠誠とか、伝統の父母、親子の関係とか、そういうところがまだ少し日本的でないじゃないかという世論があるのであります。」
A1954年に自衛隊が発足
→国家に対する忠誠心の慣用ということが、この自衛隊発足とぴったり足並みをそろえて進められようとしている。
B朝鮮戦争(50年〜53年)による景気回復で復活した財界が、「財界に役に立つ人材の育成」を強く要求。
C1956年国会で、基本法を変えたり、国家に対する忠誠心を養ったりするための具体的な手だてとして「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(「地教行法」と略す)が成立。その中身は、
●教育委員会の公選制を廃止し、任命制に。
●教育長の任命には文部大臣の承認が必要。
●教育委員会の予算や条例の原案作成権を廃止。
●教育課程や学習指導に対する指導主事の権限を強化。
●学校の施設、設備、組織、教育課程、教材などについての規定を教育委員会規則で定める。
●教職員の勤務評定を実施する。
5.
第4回(1968年版)
●入学式や卒業式などの儀式においては、日本人としての自覚を養い、国を愛する心を育てるとともに、すべての国の国旗及び国歌に対し等しく敬意を評する態度を育てる観点から、国旗を掲揚し国歌を斉唱することを明確にする。(その後)「日の丸・君が代」の実施の締め付けと実施後の点検の強化。
●教育の「現代化」を掲げて、超「詰め込み教育」の開始。
(例)関数や確率などを小学校の算数におろす。掛け算の九九をこれまでの2年〜3年の半年から、2年生の2ヶ月間に。
●普通高校と職業高校の区別に加え、高校内でのコース制の導入。戦後の単線型教育から、事実上の複線型教育制度へ向けて着々と進めていった。
6.
第5回(1977年版)
●総則から「教育基本法」の文字が消える。
●「ゆとりの充実」を掲げ、「ゆとりの時間」の導入。
●小学校の「道徳」に「日本人としての自覚を持って国を愛し、国家の発展に尽くそうとする。低学年においては、国民としての心情の芽生えを育てることを、中学年においては、更に、郷土を愛し、日本の国土や優れた文化、伝統を大切にすることに加え、高学年においては、国民としての責任を自覚して、国家の発展に尽くそうとすることを、主な内容とする。」
●「能力・適性」に応じる教育が強調され、高校の能力別学級編制の導入、校内履修コースの多様化、中学校の選択教科(音楽・美術・技術家庭科・保健体育)など複線型の学校体系へ移行。
7.
第6回(1989年版)
●「新しい学力観」の登場で、「わからないのも個性。わからない子には無理に教えない」
●「興味・関心・意欲・態度」の重視。これに対しての評価が行われるようになった。
●「日の丸」「君が代」が、「国旗」「国歌」と扱われ、「入学式や卒業式などにおいては、その意義を踏まえ、国旗を掲揚するとともに、国歌を斉唱するよう指導するものとする」
●6年の社会科で、初めて「天皇についての理解と敬愛の念を深めるようにすること」
●詰め込みの重点が低学年に。上の学年の内容が下の学年に下りてくる。
●中学校の選択教科が全学年に拡大。すべての子どもが共通に履修する教科が減る。
●6年制中等学校や単位制高校の設立で、制度の面からも中学・高校の多様化が進む。
8.
第7回(1998年版)−今年から実施されている。
●「道徳」の目標である「主体性のある日本人の育成」が総則の中に格上げされ、小・中・高を一貫して学校教育全体の目標とされる。
●「学校5日制」の導入で時間割の詰め込み。
●「学習内容の3割削減」と「総合的な学習の時間」で学習内容上の詰め込み。
●選択が小学校にまで拡大。(例)小学校5・6年の社会と理科で特定分野を指定し、複数の内容から子どもに選択させる。
●「総合的な学習時間」の成果によって校長や学校の評価を決め、各学校の「個別化」と「特色化」を求める。それが学校選択の道具にされている。
これまでの学習指導要領の変更を見てくると、今回の教育基本法改悪に通ずる様々な中身がたくみに入れられてきて、正面突破できない戦後の状況の中で、学習指導要領を変えることで実質教育基本法を骨抜きにしようという動きが着々と準備されてきた。そして今回正面突破しようとしている。
教育基本法に対する正面攻撃の社会的背景
1.
「大競争時代」に勝ち残ろうとする大企業からの教育改革の要求
●平等主義に基づく学校制度は人材養成のためには非効率
●多様化、複線化、早期選別による創造的なエリートと従順な労働力の育成
勝ち組と負け組。勝ち組はほんの一握りでいい。負け組の不満を上手にかわす方法のひとつには、生涯学習、やり直しのきくシステムをつくることともいわれている。
●公教育のスリム化による教育産業への参入。
2.
今の政策、教育改革への社会的支持
●「競争原理」、「自己責任」、「選択」、「自由」の受け入れ。今社会的支持が大きい。
●様々な教育課題や矛盾の広がり。何とかしたいという要求が強い。
●学校への不満や不安。
●心のノートによる「道徳教育」。子どもたちの心を育てることが大事という人々の思いと結びつきやすい。
3.
平和を脅かす国際情勢
●世界の憲兵として振る舞うアメリカの国家戦略
●アメリカの戦争に協力する有事法制
●核兵器保有国の存在と抑止力としての核兵器支持
こういったことも、今回教育基本法を変えたいと願う人たちの強い願い、ゆくゆくは憲法を見直して第9条をなしにしたいということと結びつけようと思っている、そのバックボーンだと思います。
●9・11テロや拉致などの国家的犯罪などを憲法や教育基本法の見直しに利用している。
●戦争賛美の「つくる会」教科書
【話し合い】
◇ 今回の学習指導要領というのは、学力低下ということの中で文科省もそのつど態度や方針がころころ変わって、学習指導要領は最低基準と言い出した。もっと教えられたら教えていいのだと言っている。
◇ 1947年の学習指導要領から順にたどっていくと、そこで出てきたことは必ず何かの狙いがあって、その階段を上がるための準備をしている。
◇ こうして見ると、今回の教育基本法の見直しの視点というのは、すでに学習指導要領が大きく変わった1958年の時点であるのですね。いろいろな背景としてあげられていることも、この時点からある動き。教育基本法を変えようという動きは、まるで地盤が弱くなってきたところに噴出してくるかのように何回も浮上してきているが、それがついに決壊してしまうのが、今なのか。
◇ 教育基本法を変えるために、徐々に国民を骨抜きにしてきた。
◇ 学習指導要領では教育基本法は完全に骨抜きにされている。今回見直しされようとしていることは、指導要領の中にすでに盛り込まれていることばかり。それを基本法にまで盛り込もうというのは、その先に日本の国のあり方を変えようという目論見があるからか。教育を考えての教育基本法見直しではないことが良くわかった。
◇ 学習指導要領の歴史は本当に教育基本法が骨抜きにされてきた歴史。教育基本法が本当に生かされた学校とはどういうものなのか、その経験を持つ教員は少ない。国を挙げて教育基本法を骨抜きにするという動きが、学校現場の中で戦後一貫としてあるので、何で今さら基本法の見直しなのかという反応をする教員も少なくない。
◇ 学習指導要領に縛られて授業をしている教員は少ないと思う。一人一人の教師や、あるいは職場で様々な研究をする中で、授業を自分で組んでいく。教育課程を自分たちの学校でつくっていくという学校はまだまだたくさんある。
◇ 日本人としてではなく、人間としての教育をしてほしいと強く願っている。コスタリカでは平和教育が行われているが、日本の平和教育とは違う。日本の平和教育では、平和を創っていくということはどういうことなのかが示されていなかった。戦争がないのが平和ということだけではなく、自分が幸せに生きていくということが平和なのだから、どういう形で社会をつくっていくのかということが大事だと思う。
◇ コスタリカは平和を作るために軍隊をなくした国だし、教育基本法の中に「批判力を養う」ということを入れている。