2001年10月例会
「高校再編計画」と私たちの願い
お話:青木敏之さん

《高校再編計画など教育「改革」のねらいを知るために、まず大きな仕組みを》

 高校再編計画に関わらず今の教育改革の様々な中身、それから医療福祉に関わることもそうですが、今総攻撃されていますよね。そういったものを、個々に「高校再編てなに?」などととらえているだけでは見えてこないということがあります。

ですから一番最初に、高校再編計画など教育『改革』のねらいを知るために、まず大きな仕組みをつかんでおきましょう。そうすると、それぞれの問題がかなり見えてきます。 

1.構造改革とは何か
 『「構造改革」で日本は幸せになるのか?』という本の中で、渡辺治さんは、構造改革とは新自由主義改革だと言っています。
その自由とは何をさしているかというと、企業の活動の自由、市場の自由。そして企業の負担や規制を取り払い、企業の自由をもう一度回復することによって経済を回復しようという新自由主義の考え方にもとづいた改革、これを新自由主義改革といって、今小泉首相が進めている構造改革はこういうものです。
 

2.新自由主義改革の2つの柱

(1)  1の柱は「財政構造改革」
福祉や教育、さらに公共事業や補助金のバラマキ政治のために、財政赤字が大きくなってしまっている。だから国民に痛みを我慢してもらって、財政支出を削減しなければならない。これが財政構造改革です。

(2)  2の柱は「規制緩和」
企業に対する規制が強く、それが企業の活力を奪っている。だから、規制を取り除いて自由な市場を回復することにより競争を活発にし、新たな産業を興して経済を活性化しなければならない。

3.「財政構造改革」の中身
(1)財政支出の削減

●福祉と教育の支出削減…福祉や教育は企業の成長には役に立たないお金。そして、景気の良し悪しに関係なく全国どこにも平等に支出され、競争をかきたてられない非効率なお金。企業や財界にとっては効率の悪いお金なんです。ですから、教育や福祉にお金を同じ出すなら、全体をスリムにした上で先端的科学技術の開発や一部のエリート教育に使おうということです。

●農村やゼネコン向けの地方公共事業投資や補助金を削減
こういう無駄な公共投資を減らしていくという発想と教育や福祉を同じレベルでどちらも削減しなくてはいけないというふうに決してしてはならない。今これがごちゃまぜになって議論されている。

(2)税制改革

財政が大きくなると税金が高くなり企業の負担が増える。だから、福祉や教育の支出を切りつめて、法人税負担を軽減する。同時に累進課税を緩和し、そして広くお金をとろうとして消費税の税率をアップを考える。

4.2の柱である「規制緩和」の中身

(1)1番目の規制「弱小産業に対する保護と規制」を緩やかにする。

典型的なのは大規模店舗法、農産物の輸入自由化です。地域の商店街を保護するために、一定の規制を設けて大型店はそこには入れないという規制があったのですが、これが数年前にアメリカの圧力でなくなりました。

(2)2番目の規制「国民の安全のための規制」を緩やかにする。

 食品成分表示や製造年月日の問題もそうだし、病院の規制、例えばこういう病院にはお医者さんは何人いなくちゃいけないとか、看護婦さんは何人いなくちゃとか、こういう施設がなくてはだめだとか、様々な規制があったのですが、そういうものをなくす。患者を商品として見て、いかにたくさんの患者をさばいているかということに応じて補助金を付けたリ…。そういう国民の安全のための規制をなくして、安全管理は自己責任で行なうことになってくる。

(3)3番目の規制「働く人たちの保護のための規制」を緩やかにする。

労基法の改悪、労働時間は長くなるし、賃金はどんどんカットされる。女性労働の母性保護の問題の規制もどんどんなくしていき、それを表向きは男女雇用機会均等とかいうけれど、どんどん女性の労働を増やしていっているが、それに比例して給料が伸びていっている訳ではない。何が切り捨てられたかというと、母性保護の問題。

(4)4番目の規制「大企業の既得権を守る規制」

今までの3つの規制は国民や弱小産業を対象としたものでしたが、4つ目はそれらとは違って大企業の既得権を守る規制が緩やかになった。どういうことかというと、今まではこの企業はこういう条件を満たさなくてはできない、金融関係の仕事もこういう条件が整わないと参入できない、病院にしても、教育にしても。今はその規制をなくして、どんな産業にもお金さえあればどんどん入りこむことができる。 

5.規制緩和の推進のためには、行政改革を

 このような規制緩和を推進をするために行政改革をする。つまり、企業の活動を規制している、企業が法律を守って活動しているかどうかをチェックする機構は行政なのですが、その行政をスリムにするということはその点検ができないということです。国民の安全や労働者の保護を担っていた所や人員を削減する。福祉や社会保障関係、労働基準監督局、保健所の統廃合という問題です。例としては、保健所の数も減っています。今は市川市や松戸市などにそれぞれある保健所を統廃合をして、千葉県で2ヶ所くらいにする。そういう計画だそうです。数を減らすということは、建物としての数だけではないのですよね。それにともなって人員も減るし、仕事の中身も減るんです。

 こういうふうに今しきりに言われている構造改革の全体像をつかむと、その中で行われている教育改革というものが、いったいどんなねらいを持っているのかが見えてくると思います。 

《教育「改革」のねらい》 

 将来の教育を充実させるという発想ではなく、どうしたら支出を削減できるかというのが教育「改革」のねらいなんですね。そういうふうに見れば、様々な「改革」の法案が頷けます。先日の教科書問題の学習会の時にも紹介されていた、三浦朱門と江崎玲於奈の発言。三浦朱門という人は、来年度から始まる学校週5日制の問題とか、ゆとりとか特色ある教育というのが柱になっている答申を出した時の教育課程審議会の会長だった人ですね。それから江崎玲於奈が座長だった教育改革国民会議が昨年答申をだしました。その答申に基づいて、文科省が21世紀教育新生プランというのを作りました。そういった流れで出てきているものすごくたくさんの法律があります。(少人数授業、指導の不適切な教員、出席停止制度、奉仕活動、「ボランティア活動等」社会奉仕体験活動、飛び入学等々)その中で、今日のテーマの高校再編の問題と関わりのある高校通学区の撤廃について触れますが、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」の50条に、「教育委員会は、高等学校の教育の普及及びその機会均等を図るため、教育委員会規則で、就学希望者が就学すべきその所管に属する高等学校を指定した通学区域を定める。」とあります。これを取っ払って、県レベルで好きなようにしなさいと。県が通学区域をなくすと決めたらそれでよろしいとしたんです。今までは国レベルで通学区域を定めなさいとしていたんですが、それをなくしました。

この50条の規定は重要です。ここにはっきりと、教育の普及・機会均等を図るために通学区域を定めると書かれているんです。ところがこれがなくなったということは、高等学校の教育の普及と機会均等を投げ捨てたということですね。この法案が通された時にここが問題になって、附帯決議が付けられました。「公立高等学校の通学区域に係る規定の削除に関し、高等学校教育を適正に進めるため、受験競争を激化させたり、学校間格差を助長することがないように努めること」

こういう文章をわざわざつけなければならないということは、通学区域についての規定をなくすことが受験競争を激化させたり、学校間格差を助長するということに繋がるということを認めているようなものですね。

 これが6月の国会で成立してしまった関連の法案の一つです。よく教育三法といいますが、三つの法律が変わったのかというと、一つのことがいろんな法律に関わってきているのです。ボランティア活動は学校教育法と社会教育法に関わってくるというふうに。いくら注意深く見ていても、報道もされないような様々な法律がちゃんとした審議もされないで、いっきにドサッと通ってしまいました。そしてそのねらいというのは、どうやったら教育や福祉を切りつめて、無駄な支出をしなくてすむようにできるかというところですね。

 そういう流れの中で高校再編計画が出てきているのです。高校再編計画は、他の教育改革、構造改革と無縁ではない、同じ流れの中で出てきているのです。 

《「高校再編計画」のなかみ》 

 『自由化』『多様化』『スリム化』というのが高校再編の3つのキーワードです。

『自由化』というのは、「選択」特に「学校選択」が基本原則です。学校を自由に選びなさいということです。そのためには、「学区の拡大」や「学区の撤廃」がどうしても必要なんです。それを全部取っ払ったんです。そのように「自由に選びなさい」と言われた時に、選びようがなかったら、どれも同じように見えたら選べませんね。そこで出てきたのが、『多様化』です。選択を明確にするために、違いがわかるように、「特色ある学校づくり」というのです。そうやって「特色ある学校づくり」を進めていくと、人気のある学校・ない学校とか、進学率の高い学校・低い学校とか、問題のいっぱいある学校・それほどない学校とかいろいろ見えてくるでしょう。そういうふうにした時に、『スリム化』して、生徒が来ないんだからしょうがないとか、実績がないからしかたがないとかして、「統廃合」につながっていきます。「高校再編計画」の三つのキーワードの行きつく先がこの「統廃合」なんですね。 

 千葉県の県立高校再編計画(案)骨子という文書の中で、

<目指すべき県立高等学校像>を

(1)生徒がその個性を最大限に生かせ、夢の実現に一役買ってくれる学校

(2)生徒や先生が生き生きと活動して、元気のある学校

(3)地域の人が集えて、自慢できる学校

というふうにしています。きれいな言葉で書いてあって、今まで自分たちが願ってきたことがもしかすると反映されるのかと思ってしまいますよね。この言葉を否定する人は誰もいませんね。実際にこれがどういうふうになっていくのかとなかみを見た時に、どことどこの学校をくっつけたり離したり、なくしたりということに大部分ページがさかれていて、(1)から(3)で言われていることについては、少ししか触れられていません。

高校再編を10年計画で行っていくこと、今ある142校を125〜130校程度にしていくとしています。 

 地域に開かれた学校と言った時に、学校がまず子どもたちに開かれた学校になっているかということがとても重要だと思います。学校の教育内容だとか、学校行事とか、直接学校に関わっている子どもたちにどれだけ学校のなかみを開こうとしているかどうか、行政が子どもたちの意見を吸い上げて学校を作って行こうとしているかどうか、そういうことなしに、開かれた学校ですよ、懇談会やります、地域の人の意見を聞きますといったって、毎日通っている子どもたちの意見を吸い上げなくて、開かれた学校と言ってもそれは嘘だと思います。

 学校評議員というのも校長を強力に応援するために地域に評議員をという発想だとしたら、地域に開かれたという言葉と実体は我々の願いにそうものではありません。

 今様々な課題や矛盾が学校にいっぱいあって、それを吸い上げるようなポーズを見せながら、その実とんでもないことを考えている。そのねらいが構造改革の一環としてどうやってこういうものを切り捨てたらよいかというところにいっているということを忘れないようにしなければいけませんね。
 高校再編案もすべてがだめかと言うとそうでもないんです。切実な声が反映されているところも不十分ながらあるんです。
例えばフリースクールの検討というのがあります。

定時制・通信制高校の充実を図るとともに、不登校の生徒等を対象に、いわゆる「フリースクール」などの子どもの社会復帰を支援する場の提供について検討する

と県教委は言っています。その中で3部制定時制高校や通信制独立校の設置も言っています。それに対し『3部制の定時制の独立校をの設置を全日制高校をつぶす手段とすべきではありません。もし設置するとしても、新設校として検討すべきです』という高校の先生の意見もあります。

単位制高校については、

普通科(一部普通系専門学科含む)あるいは総合学科の単位制高校については、全日制高校、3部制定時制独立校(3校程度)、通信制独立校(1校)をあわせて15〜20校設置する。ただし、設置にあたっては既設校を転換することとする。

としています。

学校教育というのは人格の完成ということを目指してやっているわけですよね。それを考えると高校生までは基本的にどの科も皆同じ勉強をやった方がいいと考えています。それから、学校としてどうするかという議論があまりなされない。極端なことを言えば、教師は自分の担当した講座だけを考えていればすんでしまう。学校づくりという観点が非常に弱くなってしまうということを聞いています。そういう点でも問題があると思います。 

 教育改革や高校再編計画を見て、これはいいと思う所もあると思います。だからこの問題を考える時に、これらがどういうふうな方向に進む中で起こっているのかということをはっきりとつかんでおかないと、とんでもないことになると思います。 

《私たちが求める高校教育とは》

憲法の平和原則と教育基本法を守り発展させる立場に立った教育を!

 高校の統廃合ではなく、30人学級編成の実現をすべきです。この30人学級の実現にはお金が必要、人が必要なんです。そうするとこれは構造改革とは真っ向から対立します。できるだけお金をかけないで、今の人数でやりくりして、何とか済ませようとする動きに真正面からぶつかっていくのがこの30人学級なので、この実現には幅広い共同が必要になってくると思います。 

高校教育の三つの課題

(1)国際的な視野を持った主権者を育てる政治教育の課題
確かに幼いけれど、もっと幅広い視野で考えたり、主権者として選挙権を持った時に上手に行使できるとか、広い意味での政治教育が今の学校教育の中ではあまり行われてきていない。年齢的には高校生ぐらいがもっとも必要とするところですよね。

(2)職業と労働の教育をする

(3)地域という視点をいかす。
・地域に生きる教養の形成
・父母・地域住民の参加
・地域に根ざす教育制度の創造
・若者を一人前にしていく地域におけるシステムをつくる

こういうふうな高校教育の課題を具体的にどうするかということを議論することが一番必要な高校再編だと思うのです。単にあっちの高校とこっちの高校をくっつけるとか、バラエティーに富んだ高校や学科をいっぱい作るとか、そういうことだけではなくて。そもそも高校教育をどんなふうに作っていくのかという議論を今いろんなところでしていかないと、本当に肝心な教育改革がすとんと抜け落ちてしまいます。 

教育の中身をどうするかを話し合うのは学校、学校こそがその議論をしていかなくてはならない。でも今、「こういうことをします」と決まるとそれがドド―ッとやってくる。教師もまずいと思いながらも、そういう中に呑まれていってしまう。どういうふうな教育をしようか、中学校ではこんなことをとか、自分たちの教育目標はこんな内容でというような議論がどうしてもなおざりになっていく。これは非常に問題。こういうことは行政としてきちんと保障しなくてはだめですね。そのためにはたっぷりとした時間が必要だし、十分に学校で議論したことを行政としては応援していくというよという立場に立たなければ不可能。そういうことをやっているというのは、時間もかかる、手間ひまかかる、お金もかかるし、人もかかる。だからこれは構造改革というような流れとは敵対する流れなんです。