3月例会
平和を守りたい
―最近の気になる流れ―

≪まるで戦前・戦中の教科書のようですね≫

森首相の「日本は天皇を中心とした神の国」という発言は、本音がポロッとでたものだと思うけど、未だにそういうことを考えている人がいるのだとびっくりしました。本音ではああいうことを考えている人がまだたくさんいるんでしょうか。信じ難いですが。若い国会議員の中にもそういう人が割と多いですよね。

歴史学者の人たちが、今回のつくる会の教科書の問題点について二つに絞って指摘しています。一つは、神話を中心とした歴史…伝説上の人物である神武天皇の東征をあたかも事実であるかのように書いているし、神武天皇即位の日を「太陽暦になおしたのが211日の建国記念日」であると書いてある。…

これは検定にひっかかってないのですか。

137ヵ所の修正をしたということですが、それ全部については報道されていないので、どこが修正されたのかわかりませんね。一番話題になっているのは、アジア諸国からの抗議に対してどう修正されたかということです。

こうした神話を歴史的な事実であるかのように書いてある教科書は、まるで戦前・戦中の教科書のようですね。

過去にあった史実ではなく、昔の人がどう考えていたのかということを学ぶのが歴史教育だというような歴史教育観がこの教科書に貫かれています。

昔の日本人がどう考えていたかということだけでなく、一方で侵略された側はどう考えていたかということも書かなければ、客観性はなく、科学としての歴史は成り立たないと思います。当時の日本人が考えていたことの中身の検証もしなければ…。

日本人の中にも戦争中に戦争反対を唱える人がいたというような、少数者の考えは記述されていません。

こういう動き(これまでの歴史教育は自虐的であり、もっと日本人としての誇りを持てるような歴史教育をと主張する「つくる会」の動き)を簡単に受け入れてしまう人たちがかなりいますよね。

日本にも良いところがあるんだから、もっと自信を持ったほうがいいという思いと結びつきやすいんですね。

でも、嘘を教えて誇りを持たせるというのは間違っています。作家の大江健三郎さんや、井上ひさしさん、三木睦子さんなどの人たちが歴史教科書についての声明を発表したのですが、その中に次のような部分があります。

『過去の事実を隠蔽し、一面的に自国を美化する歴史観にもとづいて次世代の国民を教育するならば、アジアで、また国際社会で、信頼を得て生きて行くための知識と感受性を欠いた日本人を生み出すことになるという点を深く危惧しています。……私たちは、どんなに自分に不利であり、つらいことであっても、真実を直視するという誠実な態度と強靭な精神とを次の世代に培うことが、教育の根幹をなすと確信し、そのためにも、教科書が日本の侵略と植民地支配による加害を率直に認識するものであることを要求します。』

≪自己肯定感を持ってないと謝れない≫

バブルがはじけるまでは、勤勉で一生懸命働いて、そして発展して、それが日本人としてのアイデンティティーだったのでしょう。それが経済が破綻して、低迷して、そこで特に大人の男たちが自信を失ったんだろうと思うのですが、それに代わるものが何もないんですよね。私は、今日本人として誇りを持てるのは憲法だと思います。世界どこへ行っても誇れるのは日本国憲法です。日本の憲法にどんなことが書かれているのか、あまり世界中では知られていません。そういう憲法があったからこそ戦争しないで来たわけですよね。

私も日本が誇れるのは憲法第9条だと思っています。

子どもたちが自信を持てないというのは、それは教育の問題だと思います。その子その子に個性があって、11人大事なんだよと、皆かけがえのない人なんだよと親や教師から、そのように扱われてきたのでしょうか。それだけで子どもたちは自己肯定できる。そういう自己肯定している安定した感情を持っている子どもならば、日本がかつて悪辣なことをしてきたという事実を見せつけられても、動揺しないんです。「かつて私たちの祖先はそういうことをしてしまったんだ。申し訳ない」と素直に謝れるんです。自信がないと、自己肯定感を持ってないと謝れないんです。

そして、さらに未来に向けて、自分たちはそういうことをしないようにしようと考えていけるのでしょうね。自分に自信がない大人たちが、日本人として誇りを持てないなどと言うのは、自分の自信のなさをそういうことにすりかえてしまっているのでしょうね。嘘で固めて日本人としての誇りを持ったところで、じゃあ自分に自信が持てるのかというと、そうではない。

かつては、日本は神の国であるというふうに教えられて、アジアの人々、中国や朝鮮などの人たちは人間として価値がないと教えられて、そして日本男児であるというアイデンティティーしか持たない人たちが、兵士として朝鮮や中国へ行って、虫けらのように殺しても何も思わなかった。そういうことをしている自分をおかしいとも思わなかった。そういうことを今またやろうとしているのではないかな。人間として自分がありのままであっていいんだというふうに自分で自分に納得している人は、他の人に対しても生きている価値がないとか、そういうふうにはならない。

今回この教科書問題がワーッと大きくなったきっかけは、従軍慰安婦のことが中学校の教科書7社全部に載ったんですね。それがきっかけになって、自由主義史観の人たちの活動が活発になったんです。

中学校で慰安婦のことを教えるのは、子どもたちが持っている性差別感、民族差別感を批判する、そういったことに男であることしかアイデンティティーのない男たちが、おそらく反応したんだろうと思います。男であることしかアイデンティティーのない人たちが結構いるんだなと。そういう意味では『教育改革』が必要だなと思いますね。

学校でのいじめと同じですね。自分に自信が持てない子どもたちが、自分より下の存在を作り上げて差別したり、攻撃したりすることで自分のアイデンティティーを持つという、同じ構造ですね。こんな教科書を採択して使って行くということは、そういう人間を再生産して、権利条約なんてとんでもないし、人権なんて全然大事にされないし、そういう社会を私たちはこれから作っていこうとしているんですよね。

(まとめ:浅井)