松戸市教育改革市民懇話会中間報告への意見書 

松戸市PTA問題研究会

 

 当会では、今年4月に「これまでの経過(案)」への意見書を提出しました。今回出された中間報告についての当会の意見も、基本にあるのは前回提出した意見書の内容と同じものですので、その意見書もあわせてお読み下さい。 

 今回の中間報告は全体的に非常にわかりにくく、まわりくどい文章が多いので、理解するのにとても時間がかかりました。もう少し平易な表現を心がけてほしいと思います。 

共に社会を作る対等な仲間として、様々な権利を持つ主体として子どもをとらえましょう。

松戸の子どもたちが、何を悩み、どんな問題を抱えているのかをきちんと受けとめ、子どもたちが松戸でのびのびと健やかに育つための教育改革を。

 中間報告を読み終えてまず感じるのは、子どもを指導する対象としかとらえていないということです。同じ社会の一員として、共に社会を作る対等な仲間として子どもをとらえる視点が全くありません。

 同じ松戸市に生きるものとして、子どもたちが何を悩み、どんな問題を抱えているのかを受けとめた話し合いをしなければ、いったい何のための教育改革でしょうか。子どもたちが松戸でのびのびと健やかに育つための教育改革なのではないでしょうか。

 「子どもの権利条約」にも書かれているように、子どもには、「自分に影響を与えるすべての事柄について自由に自己の見解を表明する権利」があり、「表現の自由についての権利」があり、「思想、良心及び宗教の自由についての権利」「結社の自由及び平和的な集会の自由の権利」などがあります。そうした権利を持つ主体として子どもをとらえているでしょうか。

松戸市の教育をどうするかということは、子どもたちに影響を与える大きな事柄です。子どもたちにも自分の意見を表明する権利があるはずです。懇話会での話し合いに、松戸の子どもたちの声は届いているのでしょうか。言葉にならない、子どもたちの意見表明としての様々なサインをしっかりとつかみとっているでしょうか。 

子どもたちに身につけてほしいものは、ともに平和な社会を作る対等な仲間として、様々な国の人たちと民族・宗教・文化の違いを互いに認め合いながら共に生きていく力、人や社会・自然と関わる力、様々な人たちと協同して問題を解決していく力

  教育基本法第1条に「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家および社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」と定められています。つまり教育は、子どもひとりひとりの人格の完成をめざすものであり、そのひとりひとりの子どもが自主的な精神に充ちた平和な社会のつくり手として成長できることを願って行われるものです。

 中間報告では、子どもたちに身につけさせる基礎基本として、読み・書き・計算に加え、社会生活において必要な姿勢と責任をあげています。読み・書き・計算する力の定着はもちろん必要ですが、それに加えて子どもたちに身につけてほしいものは、ともに平和な社会を作る対等な仲間として、様々な国の人たちと民族・宗教・文化の違いを互いに認め合いながら共に生きていく力、人や社会・自然と関わる力、様々な人たちと協同して問題を解決していく力です。

 教育改革懇話会では、こうした子どもたちに身につけてほしいと願う力についての話し合いの時間が十分ではありませんでした。基礎・基本を話し合うはずだった第1小委員会でもしつけについての話に終始し、基礎・基本についての話し合いは全く深まっていませんでした。その躾についての話から「社会生活を営む上で基本的に必要な責任をいかに身に付けさせるか」という視点が出てきていました。こうした視点は、子どもたちにとって必要な力というより、大人たちが子どもたちをどう躾るかという視点です。基礎・基本とは全く別の問題です。責任能力を読み・書き・計算と同列に並べて基礎・基本と定義づけるのは非常に乱暴な話です。 

 人と関わる力・クラスの皆と話合い、共に問題を解決していく力・互いの違いを認め合って共に生きていく力を身につけてほしいと願うならば、少人数学級の実現は不可欠です。

 先日の松戸市議会教育経済常任委員会で、教育長は「少人数学級か少人数授業かの二者択一の論議をする時代はそろそろ過ぎなければいけないと考える。各市町村や学校の創意工夫によって、柔軟に弾力的に学級編成や教育活動・生徒指導をする方向に向かって論議をするべきと考える」と述べました。そして「30人学級が絶対ダメと言っているわけではないが、(少人数学級と少人数指導の)どちらか選択せよといわれたら、固定的なシステムにすぐにとびつくのはどうかと考えている」とも。

 中間報告で「児童生徒に基礎基本を定着させるために、個を生かすきめ細かな指導の充実」に触れているところを読むと、市議会で表明した教育長の見解と同じ趣旨が書かれていて、驚きました。これは懇話会の中間報告ではなく、教育委員会の方針を示したものなのではないかと疑ってしまうほどです。

 確かに読み・書き・計算する力を子どもたちに効率良く定着させるのには、算数(数学)・国語などの教科で少人数授業を行うのは適しているでしょう。しかし、読み・書き・計算だけではない、人と関わる力・クラスの皆と話し合い、共に問題を解決していく力・互いの違いを認め合って共に生きていく力を身につけてほしいと願うならば、少人数学級の実現は不可欠です。現在の40人学級の中でも1クラスの人数が30人以下になる学級がありますが、そうした少人数の学級を経験した先生や父母の方から、「クラスの子どもたちの数が多くなるとつながりが増えるように思われますが、30人を超えるとかえって子どもたちがバラバラになることもあります。30人以下学級では子ども同士の関わり合いが増え、親密な関係を作りやすくなります」「子ども同士ゆっくり話し合う時間があるので、トラブルがあっても解決しやすく、仲良くなっていきます」「人の意見を聞いて勉強しあう協同学習は少人数だからこそ効果があります」「自分から発表できなかったわが子が、少人数のクラスになって、先生から声をかけてもらえるようになり、変わってきました」というような少人数学級の良さがあげられています。

地域の様々な子どもが集まるクラスで、子どもたちは人の意見を聞いたり、自分を表現したりということを学びます。違う意見も尊重しながら、どうやって一緒に生きていくかということも学びます。そのためには、十分に子どもたちが話し合う時間が必要です。そうした子どもたちの取り組みをゆっくり待つことのできるゆとりも必要です。少人数学級を実現すれば、そうしたゆとりを持つことができますし、深く密度の濃い友だちや先生との関わりを持つこともできます。

 懇話会でも多くの委員の方が少人数学級の実施を強く提言すべきとの意見を述べられていました。ぜひ少人数学級の実施を提言してください。 

 中間報告では、子どもたちに基礎・基本を定着させるために「特色ある学校づくり」を達成することが大切であるとし、そのために「校長の裁量権」の拡大について検討することとしていますが、この点についての説明が不十分で趣旨がわかりません。「教員配置の適正化」は各学校の創意・工夫あふれる試みで解決しなさいということでしょうか。各学校が子どもたちの基礎・基本を定着させるために必要な教員の数を考え、足りない教員を校長裁量で何とかするということでしょうか。例えば講師の派遣を依頼したり、学校支援ボランティアを募ったりという方法で。それとも正規の教員を校長裁量で採用することができるようにするのでしょうか。教育改革の大きな柱として「児童生徒に基礎・基本を定着させる学校教育を行う」と謳いながら、それを担う教員の配置を各学校の校長裁量でというのは、あまりにお粗末な話ではないでしょうか。まして、教員が足りないからと言って地域のボランティアに頼るというのは、行政としての責任放棄ではないでしょうか。中間報告でも「教育は人なり」と言っています。まず専門性を持った教員をきちんと配置することが大切だと考えます。 

子ども・父母・教職員・地域の人、みんなでつくる学校に。

 そのしくみとして学校協議会の設置を。

 PTAを地域のネットワークづくりの中心に。

  中間報告で述べている「学校を拠点とした地域コミュニティづくりの推進」の内容は、当初私たちが考えていた中身とは逆のものになりました。

 私たちは、子どもたちが地域でのびのびと豊かに成長するために、地域に住む人たち皆で子どもたちをあたたかく育むために、父母、教職員、そして地域の人たちが協力し合う、その拠点に学校をと考えていました。子どもを中心に据えた町づくりをすることで、そこに住む人たち皆が心豊かに暮らしていける地域を作ろうと考えていました。そうした町づくりの中から学校も作られてきます。

 ですから、学校をそこに通う子どもたち、父母、教職員、地域の人たち皆で作っていくために何が必要か、どんなしくみが必要か、そうしたことが提言されると思っていました。

 中間報告では「学校評議員制度を拡充し、学校を核とした情報の共有化、学校運営に関する地域住民との連携…などに取り組むことが考えられる」と述べていますが、その学校評議員制度の中身については言及していません。校長が必要な時に一人一人の学校評議員に意見を求める形なのか、合議制の学校評議員会を定期的に持つのか、どんな人選をするのかなどについて触れられていません。

 学校を地域に開くと言う時、私たちも「情報の共有化」「学校運営への地域住民の参画」が必要だと考えます。そのためには、まず学校に直接関わる子ども・父母・教職員の間で、情報を共有化し、その三者が学校運営に参画できるしくみを作る必要があります。子どもや父母が直接参画できるしくみを作ることをしなければ、地域に学校を開くことはできません。

そのしくみとして、私たちは子ども・父母・教職員で構成する学校協議会の設置を提案します。そして必要に応じてそこに地域の人たちを加えた拡大協議会を開いたらどうでしょうか。

中間報告では、「地域住民が学校運営に参画することは、学校運営の責任が校長にある現行制度の中では限界がある」と言っていますが、学校協議会は現行制度の中でも十分に取り組むことができるしくみです。

 また、現在組織されているPTAが、教育に関わる問題について父母や教職員、地域の人たちが考え合い、語り合う場としての本来の機能を果たせるように、PTAへの支援を行なうことをぜひ検討してほしいと思います。PTAは地域のネットワークづくりを進める中心的存在になれるはずです。PTA活動を活発に行えない地域では、どんなに新しい組織やしくみを作っても、十分に機能させることはできないでしょう。  

学校ボランティアとしてではなく、

共に学校をつくる担い手として父母・地域の人をとらえましょう

 学校協議会を作り、学校運営や教育内容について、そこで日常的に話し合うことができれば、同じ学校をつくる対等な仲間として、自然と仕事を分かち合うことが行われてくるでしょう。父母や地域の人を学校ボランティアとしてとらえるのではなく、共に学校を作っていく担い手としてとらえましょう。学校が日常の教育活動に必要な人手をボランティアで補うというのでは、父母や地域の人を都合良く使って、教育予算を削ろうとしているとしか思えません。他を削ってでも、専門性を持った教職員を手厚く配置することにお金をかけるべきです。「教育は人なり」と言っているのですから。

 ボランティアは社会から要求される義務でもなく、人から強制されるものでもなく、人々の主体性に支えられているものです。そうしたボランティアをあてにして教育行政を行うことは、繰り返して言いますが、行政の責任放棄です。人々の自主性による行為をあてにするような施策をたてるべきではありません。

学校ボランティアの導入には強く反対します。  

学校選択制は子どもや父母をお客さまにしてしまいます。

自分たちの学校は自分たちでより良いものにしていくという、学校づくりを。

共に学校をつくるという視点での学校評価を。

  中間報告では、学区ゾーン制導入の検討を提言していますが、学区ゾーン制については第1小委員会で2人の委員の方が少し触れただけです。「学校を市場にのせて、お客さんに買ってもらうようにする。校長がリーダーシップをとって、特色ある学校づくりを進める。魅力的な学校になれば、選択する子どもが増えていく。これが学校評価になる」という意見が1人の委員から出されていました。それに対し、多くの委員の方は、「地域を壊すおそれがある」「そのような方法をとったら校長が変われば学校の方針はすぐ変わってしまうだろう」「子どもあっての特色。今目の前にいる子どもたちをどう育てていくかという様々な取り組みの中で、その学校の特色が出てくる」「その学校に通っている子どもと親による評価をしていく方が現実的」等々反対意見を表明していました。

 そこで出てきたのが学区ゾーン制ですが、それについて突っ込んだ話合いはされず、合意もされていませんでした。しかも、「学校選択制の導入は地域を壊すという点がネックならば、狭い地域の中で、2・3校から選ぶというのなら可能か」という話で出てきたものです。それが中間報告では、学校選択制とは切り離されて、「個に応じた教育の充実及び学校経営の活性化を図るために学区ゾーン制などの導入を検討すること」とあり、唖然としました。

 学校選択制・学区自由化に対する中間報告の姿勢は、懇話会での話し合いとは全く違う内容で、教育委員会の方針を色濃く反映したものではないかとの印象を受けました。

 4月25日の懇話会で、事務局が「学区については弾力的な運用をしている。現在松戸市内で1000人余り学区外通学している」と答えていました。こうした弾力的な対応で十分ではないでしょうか。

 学校選択制は、学校をまるで商品のようにどれが良いかと選んでいくことです。校長がリーダーシップを発揮してつくった「特色ある学校」を、親と子どもがお客様になって選んでいくことです。お客さまに選ばれなかった学校は、廃校されていくのでしょうか。

 私たちは親と子どもがお客様にされるような学校選択制度の実施には強く反対します。学校で問題が起きた時、皆でその問題を解決していこうという姿勢は、お客さまでは持てません。皆で自分たちの学校をより良いものにしていこうという姿勢を親も子どもも持っていたいと思います。こうした姿勢は、自分たちの町は自分たちでより良いものにしていこうという姿勢に通じるものです。

 現在学校選択制が実施されている品川区では、私立中学校への進学率が高い、伝統的に進学校と言われている小学校が多くの親子から選ばれ、逆に荒れていると噂された学校は希望者が減少。中学校の選択基準は、部活動であることが多く、また、学校が荒れているかどうかも選択の基準になっているようです。そして施設がきれいで、冷暖房があるところが人気があるそうです。

同じように選択制が実施されている杉並区でも、同じような傾向が見られます。学校が荒れているかどうかが選択基準になるといっても、「10年前に荒れていた」という一般的な風評が親子の選択を左右するとしたら、どう考えますか。予想以上に人気があった学校での施設不足の問題や、特色ある学校づくりのために子どもたちがないがしろにされるなど、様々なデメリットが生じているようです。

学校選択制が導入されたらどのようなメリットがあり、どのようなデメリットがあるか、すでに導入されている自治体の実態を調査することなく、安易に学校選択制導入の検討を提言しないで下さい。学校選択制を前提とした学校評価システムの検討を提言しないで下さい。

 学校評価については、学校を子どもたちにとってより良いものにしていくための評価は必要だと考えます。懇話会でも提案されていた委員の方がいますが、その学校に通う子どもや保護者など、直接その学校に関わる当事者による評価であるべきです。自分たちの学校を自分たちでより良いものにしていくための評価です。先述の子ども・父母・教職員で構成する学校協議会、それに地域の人を加えた拡大協議会で、情報を共有し、話し合い、考え合い、ともに学校をつくるという視点からの評価を考えましょう。 

市民参画による教育施策を審議する会を設置しましょう

  中間報告で提案されている松戸市の教育施策を市民参画で審議する会の設置はぜひ実現してほしいと思います。どのような形で実現するかについては、もっと詳細に検討することが必要だと思いますが、現在設置されている松戸市パートナーシップ検討委員会の会議のあり方もぜひ参考にしてください。松戸市パートナーシップ検討委員会は、専門委員3人に加え、公募の市民委員59名で構成されています。公募した市民全員を委員として任命しています。会議は、昼・夜の2部に別れての会議と、全体で集まる会議の両方を使い分けて行っています。それでも人数が多いので、会議は8人程度のグループによるワークショップ方式で行っています。先進的な取り組みをしている自治体への見学や学習会や、市民委員の自主的な班ごとの視察も行っています。また、会議の運営や通信の作成などを担う市民委員のワーキンググループも作られています。まだまだ動き出したばかりですが、この委員会のあり方は、市民参画による教育施策を審議する会を設置する際には、非常に参考になると思います。

 それ以上に、先進的な取り組みをしている自治体がいくつかありますので、そうした自治体の取り組みを参考にしながら、ぜひ教育施策づくりへの恒常的な市民参画のしくみを検討してください。

 中間報告では、参加する市民の「代表性」の保証についての危惧が述べられていましたが、会議を公開し、傍聴者も参加できるオープン会議の日を設けたり、常に市民の意見を受け付けたりというような、できる限り市民に開かれた会議にする工夫をすることによって、全市的な、バランスのとれた話し合いになるのではないでしょうか。