第23回ゆきとどいた豊かな教育を求める松戸市民集会

『子どもはどのようにして大人になるの』

―発達のふしめに大事にしたいこと―

【全体会】片岡洋子さんのお話の要旨

☆「大人になるということはどんなこと?」こう問われていったいどう答えるのか。

80年代は、基礎的な学力をつけることで子どもたちに自信を持たせようという形の合意ができた中で、反復練習というやり方が広がりを持った。でも、今はそういう形での合意ができない。

大人になることが揺らいでいるし、学校へ行くことも揺らいでいる。学校へ行かなくとも今は勉強できる。学力を形成するというところでは、学校の相対的価値は下がっている。

学力は個人が所有する能力としてとらえられてきたが、本当は社会的な性格を持っている。社会が何を求めるかということが学力を規定している。だから、学力のなかみは普遍的なものではなく、その時代、その社会によって変わってくる。1970年代半ば、大衆消費社会の始まりの頃、学力の中身が大きく変わってきたのではないか。今は、この学力について、社会が共有できる観点がないから、大きく揺らいでいるのではないだろうか。

日常生活で使わない知識を、なぜ学校で学ばなければならないか。子どもはそれを知りたがるし、大人はそれに答えなければならない。消費社会の原則『今ほしいものを今獲得する』ほしいものを手にいれよというメッセージを子どもはいつも受け取っている。昔は、基礎学力といわれたものを身につけると、子どもたちの日常生活や遊びの中で、繰り返し使われ、応用されていくということがあった。でも、今は子どもたちが必要としているものを学校で教えてないかもしれない。

子どもたちが異質な他者性を想像し、認識し、どう関わるかということを身につけることが大切。人と親しくなる=その人の他者性を奪うというふうに勘違いしてる大人も多い。言葉や手続きを省略させることが親しくなることと勘違いしている。最近の学生は欠席しない。「自分がいないところで何かが起こるのでは」という心配をする。他者への無関心と過剰な気遣い。いろいろな人との交流を授業を通してやらなければならなくなった。暴力支配を肯定的に受け止める傾向が強くなってきている。体罰容認の傾向。愛情と暴力が結びついて美化して行く傾向がある。

大人になるのがしんどい。大人像が揺らいでいるが、一緒に大人像を探っていく関わりを作っていくしかない。

 

【第2分科会 学童期】      

≪小学校の先生よりクラスの状況についての報告≫

ギャングエイジ(3年生)の子どもたち、時間的にも空間的にも遊べなくなっている。高木ニ小の学区は遊べる空間がない。遊べる機能としての(小学生がめいっぱい遊べる)公園がない。徒党を組む仲間がいない。遊べるのは学校の業間休みだけ。放っておくと自由に何人かで遊ぶか、外にでないという子も。教室の中で世間話をして終りになってしまう。子ども同士で遊ぶということを意識的に取り組む。遊びの中でのトラブルを子どもたちがどう解決していくか。

問題の解決のしかたが下手になっている。
自分たちで解決できなくて、先生に泣きついてくる。学級会など話し合う場が時間的にも少なくなってきている。軽視されている。自分たちで解決する体験が減っていること。遊びの中でもまれることもなくなってきた子どもたちが、そんなに気にしなくてもいいと思うようなことを気にやむ。

 

≪学童指導員より、放課後の子どもたちについての報告≫

●子どもたちがいきいきと過ごしたいと思っている放課後を充実させる手伝い。

子どもたちが素の自分を出せるようなところに。ありのままの自分を学童で出していいんだと実感できるようにということを大切にしていきたい。他の子のありのままの姿も受け止められるように。

●指導員の働きかけがないと、異年齢のつながりはなかなかできない。

共に遊んで楽しさを共有すると、他の子どもたちとのつながりを持っていける。仲間としてつながりを持つきっかけになる。指導員としての関わりが大きいと、子どもたちの遊びが盛り上がったりするのだが、指導員がいないと、子どもたちだけでトラブルを解決できない。失敗しても大丈夫という雰囲気づくりが必要。

 

≪参加者による話し合い≫

教員E: 授業の最初と最後の挨拶をなくしている。休み時間が始まるとダ―ッと飛び出していく。子どもの遊びにはアンタッチャブルにしている。休み時間はちゃんと保障する。遊びの質は問わない。大人は遊びの質を問題にするけれど。その子のペースで、その子のやり方で、“待ち”の姿勢がないと。遊びにまで教員が介入していいのか。教室にコマなどの遊び道具を置くなどの工夫はしている。手助け程度にしている。

父母A: 朝自習の時間があるが、それをなくして20分の業間休みを30分にすることができるか。そういうことが学校裁量でできるか。

教員B: 昼休みを30分にした。たっぷり遊べる様になった。教師も子どもと一緒に遊ぶ。児童会の意見を反映していきたい。友情・愛情という言葉で縛る暴力。高学年になってもけんかができない。話し合いをしても絡み合わない。けんかしたっていいじゃないかという雰囲気が子育ての中にあるのか。

父母B: 親が気をつかう。まわりに迷惑をかけないように、親が先回りしてしまう。子どもの友だちにも気をつかう。

父母C: 親の世代もまわりに異常な気づかいをする大学生と同じ。

教員E: 移動児童館で、小学生が遊んでいるのを見て、児童館もいいなと思った。

父母D: 雪の日、雪遊びをしようと外で遊びたがらない子どもを連れ出したら、だんだん興にのってきた。面白さがわかれば外で遊ぶことも好きになるのかな。きっかけが必要。

父母E: 梨香台地区に国有地があり、そこを借りて遊ぶ試みを。大人たちが何人もいて、大縄のコーナーや紙芝居、老人会の人たちによるコマ・けんだまコーナーなど。子どもって本当に良く遊ぶんだなと思う。その場にコマなどを置いておくだけで、子どもたちは自らけんかも解決していく。場を提供することが大切だと思う。

父母A: 子どもたちが夢中になって遊ぶ姿を見た大人たちにも幸せをもたらす。遊ぶ子どもの姿がある町は平和だなあと思う。

父母F: 21世紀の森の広場を借りて遊ぶイベントを行った。子どもたちだけで参加するケースが多かった。大人が遊んであげるというのではなく、大人も一緒に遊ぶという姿勢で参加。いろんな大人がいるけど、子どもたちがそこで安心して遊んでいる。親と一緒に参加しているケースでは、親が過干渉になっている。遊び方や遊ぶ時間にも口出ししている。一緒に遊べばいいのに。

教員F: 親の不安を解消するために、子どもに習いごとを。できない、わからないという思いを、子どもに継続して感じさせるのは酷。

元教員: 早期教育のどこが問題か。発達上のバランスが崩れる。異質な他者性を想像するという力は、遊びの中で養われる。

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