9月例会報告
PTAしゃべり場
≪自己紹介・近況報告から…≫
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私の地域の学校のPTAが、学校の図書室があまりに貧弱なので、本を寄付すると校長に申し出たらしいのですが、校長先生は「どうしたらその申し出を受け入れられるか検討する」と答えたようです。PTAが学校図書を寄付するということがいかに重大な問題であるということについて、何の認識も持っていないことに驚きました。私たちがPTA活動をしていた時は、そのような使い方をしようとすれば、異議を唱える会員が少なからずいました。最近、この話を伝え聞いて、非常にショックを受けました。
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4年生の児童が道に飛び出してなくなるという事件が起きて、それをきっかけに保護者の会を立ち上げようというお母さんたちと一緒になって、一年間かかってPTAができました。1学期はいろいろやったなぁという感じがあったのですが、これから何をするのか情報がぜんぜん来ない。
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今、不安定雇用の問題が非常に大きな問題になっていて、フリーターなどの人たちがなかなか生きていけないというような状況が作られてきている。教育の問題と労働の問題は密接につながっている。高校を卒業して就職する人たちは不安定になる予備軍。にもかかわらず、それに対して学校教育の場ではほとんど何もやっていない。
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今学校では地域との連携ということで、学校が社交場になってしまうのではないかと危惧している。活動と社交とは違うということが通らない。学校というのはサービス業でもなければ、イベント屋でもない。ミニバスケットのユニフォームが買えないとか、ペンキ代がないのでペンキ塗りができないとか、そういう学校の要望もあるんだけれど、地域が学校のお抱えみたいになってしまっている。現役ではないので、PTAの様子や雰囲気がつかみきれず、疑問や言いたいことがいっぱいあるが、それを届けられない。
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5月の例会に参加して、熱いものが込みあがってきた。自分の学校とは違うスタイルを見せてもらって、「うちの学校、遅れている!」と強く感じました。このままではいけないと、自分が動く力をもらいました。その時、「保護者会というのは先生が一方的に話すだけではなくて、親との交流をもっとしたほうがいい」と聞いて、私はそれをまず先生に提案しました。子どもたちの放課後の様子を親たちは本当に知っているのかということが私も気になっていましたので、そのことをテーマに話し合えないかと先生に提案したら、先生も協力的にしてくれて、1学期の授業参観の後の保護者会の時に、うちのクラスだけではなく学年全体でグループミーティングをしました。グループによってテーマは違って、例えばあるグループでは「ゲーム」について、どのように使わせているかとか、ルールをつくっているかとか、いろいろ話し合いました。保護者会とは本来こういう場なんだと思いました。私は今PTA本部にいるので、子どもの放課後の様子というのを、もっと他の学年でも気づいてもらいたいと思って、「PTA本部だより」に書かせてもらった。こういうことをやっても、本当に届けたいと思う親には届かない、何をやっても変わらないだろうという考えだったのですが、前回の例会に参加して、「届けたい人に届かないかもしれないが、やることに意味がある」と言われ、勇気づけられました。でも本部役員の中で思いのギャップがあり、私一人が突っ走ったような形になってしまい、その後大きな問題になってしまいました。前例がないことをやったので…。そこまでやる必要があるのかとか、後に続く人が大変とか。
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8月に保育の合同研究全国集会というのがあって、石坂啓さんの記念講演がありました。「親として、子どもに対してこれでいいのか」ということが投げかけられました。「子どもを生んだことを後悔していないが、今自分が若くて、これから子どもを生むかどうかと言われたら、生まないかもしれない。今の若い人たちはそういう選択をするのではないか。」と言われました。その時は参院選のすぐ後で、「安倍さんは負けたけれど、でも首の皮一枚で憲法がつながっただけで、まだまだ心配なシーンはいっぱいある、お母さんたちはこれで心配じゃないの?」という石坂さんの言葉に、改めて同じ思いを抱きました。何も言わないうちに、誰も知らないうちに、本当にどんどん進んでいく。学力テストも学力向上のためにと言われれば、「いいのかな」と思ってしまうが、よく考えるとそうやって統一したり、競争させたり、勉強ができなければとても不安な要素をいろいろ言われたり…何か親も子も、教師も当局の思いの通りになっていってしまいそう。わからないうちに自分の判断力がなくなっていってしまうと思いました。前回松P研の例会に参加した人たちに聞くと「やれば、求めている人たちはいるんだ。」と感じたようです。親たちは何かしら求めてつながりたいと思っているし、こういう不安定な時期こそ一人でいるのは心配。皆で手をつないでいきたいと思いました。
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何も知らずにPTAの執行部に入ってしまったので、前回の例会に参加しました。その後どうなったかというと、いろいろな行事に追われるばかり。校庭の除草作業を先生たちがやっているのですが、先生たちだけではこなしきれないし、そんなことより子どもの方を見てほしいという気持ちもあって、「できないところは親にも声をかけて」という気持ちもある。でもそれってPTAとしてどうなのかな?と考えていくうちに、私自身 PTAをわかっていないのかも知れないと思いました。そろそろ来年度の執行部決めが始まるが、「PTAとはこういうもの」というのがほしいという気持ちと、達成はできなくてもよりよい方向に何とか持っていきたいという気持ちが自分の中であるので、来年度も自分が役員をやるのなら「芯」がほしいと思い、また参加しました。
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今、皆さんの近況を聞いていて、松P研の5月例会をやってよかったと思いました。たとえ大勢でなくても、参加された一人ひとりの胸の中にいろいろ届けられたものもあったし、互いに学ぶものも合ったし、本当にやることに意味があるのだと思いました。
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7年ぐらい前から、PTA活動をよくするためのご意見箱が設置してあるんですが、活用されていませんでした。私も本部役員になって初めてその存在を知りました。寄せられた意見とそれへの回答は、PTA本部だよりに掲載しています。学校への要望も寄せられることもあります。
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どこへ言ったらよいか、何をどう言ったらよいか、わからなくて、ただ文句を言うという形になってしまうのかもしれない。うちのPTAには広報部のポストがあって、一時は中傷とか、文句とかが多かったのですが、「そういうのはやめてください。紙面に掲載するかどうかは広報部が判断する。秘密は守る。紙面上匿名希望はいいが意見を寄せるときは記名してほしい。」そういうことを会員にお知らせしていますが、ここ10年くらい利用はありません。学校への疑問も学校へ広報紙を通してちゃんと届けるから、書いてくださいとしているのですが。
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うちの学校の広報は、学校行事の取材が主になっている。
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例年通りの広報を作る必要はない。その時、皆が興味のあることを代弁する。広報部はオーケストラだから一人で演奏するものではない。みんなで力を合わせて作るもの。
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初めて本部に入るといろいろな疑問が出てくる。「これでいいの?」と。でも2年以上続けていると、そういう疑問も出てこなくなる。麻痺してきちゃうのかな? 「それは違うのでは?」と、時には言い争うことも。でも言い争うことによって、次の年、少しずつ変わっていく。
PTAの中で活動するものとしてふさわしいのかどうかの議論をしなくてはならない
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PTAの中のバレーボールや合唱は、そもそもPTA間の交流や親睦を深めるために始まったのでしょう。
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他の学校との親睦を深めるための大事なイベント、学校の代表という役目を果たしてもらっているというようにとらえられて、バレーボールへのサポートをPTAでしている。
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交流することが目的ならば、バレーボールをしたことで他の学校とどういう交流ができたのか、目的にあった実績を上げられているのか。
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大会に出ると、どうしても勝つために一生懸命になってしまう。それだったら交流でもなんでもない。
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本来の趣旨から外れてしまっているのなら、今とは違う形にしたほうがいい。単なる同好会にして、PTA活動からはずせばいい。
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親睦を図って、子どもの豊かな成長のために手をつなぐための手段の一つとして行ってきたものが、本来の目的を忘れてしまっている。
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PTAの部だったら、運営委員会に出なくてはいけない。運営委員会で活動報告もしなくてはならない。うちのPTAでは、バレーボールは文化部が窓口になっているサークル活動という位置づけなので、予算がほしいときは文化部として承認を得なくてはならない。そうしておかないと、バレーボール部が一人歩きをしていって、PTAは嫌だけどバレーボールは一生懸命やるということになってしまう。文化部は他の会員皆に還元しなくてはいけないのに、バレーボール部ばかりに還元しているようになってしまう。
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サークル規定を作って、その中に本来の趣旨も盛り込むべき。「PTA会則の目的に沿っていること」という規定が必要。
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PTAの中で活動するものとしてふさわしいのかどうかの議論をしなくてはならない。子どもたちの教育環境を良くするとか、いろんな問題を解決するための土台をつくるための交流なんだというところまで行かないと、PTAの中のサークル活動としては意味がない。
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昔は母親がなかなか外に出られなかった、でも子どもを育てている母親が社会を知らないということはマイナスになる。何とか母親たちを外に引っ張り出そうという目的があって、成人教育やサークル活動があった。でも今は、状況が変わってきている。外でお金を払ってできるようなサークル活動は、何もPTAでやる必要はないと思う。そうではなくて、必要だけど社会にはないものとか、自分たちがどうしても取り組まなくてはならないこととか、そういうことをサークル活動につなげていけるようなPTAでなくてはならない。そこには教育的配慮がないと。単なる社交だとか、楽しみの会だとかでは、PTAでやる意味がない。
文句は言えるけど、意見は言えない
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学校の先生というのは公の存在なのだから、私たち市民や保護者が学校に意見をぶつけていくのは、自分たちがどのように見られているのかと自分たちを相対化していくためには、とても必要なことだと思う。それを中傷として規制してしまうのはごまかしだと思うが。本当に中傷のための中傷ならば、それはだんだん淘汰されていく。
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先生も大変。うちの学校でも、この9月から3月まで、精神的な理由で休養している先生が2名いるんです。1学期中は元気そうに見えたのですが、夏休み明けに突然そのような事態になったということは、先生自身 目に見えなくても頑張って、親からも耐えて、上からも耐えて、というような現実があると思う。
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今、先生方の中にうつ症が多いと聞いている。友人にも半年休んでいる人がいて、教員をやめようかと言っている。今、狂っているよね。学力テストの問題もめちゃくちゃじゃない。
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それって親は喜ぶかも。
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それは夏休みだと子どもがズーッと家にいるからでしょう。夏休みでも子どもがイキイキと遊べる場所が、家の外にあればいいんでしょう。児童館や図書館などの居場所をつくるということに親はエネルギーを注げばいい。
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私も含めて、一般の母親は文句は言えるけど、意見は言えない。
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陰でしか言わないから、愚痴で終わってしまう。でも総会ではなかなか言えない。
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そういう意味で、PTAというのは民主主義の学校だと言われるんです。PTAの中で、文句を意見に変えていけるような仕組みを、例えば先ほどの意見箱に文句が入れられたら、それを意見に発展させるような働きかけをしていけばいい。
人を確保するために楽しいほうを優先させているから、
一番根っこにあるものがわからくなっている
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運営委員会(全部で40人くらいいるのですが)で、出席者の意見を聞きたいと思った時、どうしていますか? 「意見はありませんか」と聞いても、なかなか意見が出てこない。小さい集団ならしゃべりあえるんだから、「5分間の時間をとりますから、学年ごとにわかれて話し合ってもらえますか」というふうにしました。一つの小さいこと、自分には関係ないと思うことでも、実は関係している、だから一人ひとり考えてほしい。そういうことをやっていかないとどうにもならない。
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たとえ一人でも運営委員会の場で意見を言う人がいれば、他の人も発言しやすくなる。指名して発言してもらうこともあるけど、今のようなグループに分かれて話し合うというのもいい方法ね。
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どんなにいいPTAであろうと、歴史があろうが伝統があろうが、4月は皆1年生なのよね。いつも原点に戻るには、初めからやればいい。
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2年3年たって、ちゃんと成長していくのならいいけど、変に慣れてしまって、何も疑問に思わなくなるようでは困る。毎年、細かいことから話し合えるような、そして文句から意見に発展させて、その意見によって全体をより良くできるような、そういう積み重ねが必要。PTAって、そうやって積み重ねているんだけど、毎年4月になるとまたゼロになるのよ。
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PTAとはどういうもの?という感じで、皆にわかりやすく書かれた手引きがあるのだけれど、「楽しくやりましょう」ばかりで…。「そういうことでPTAが動いてどうするの?」とか、「そういうことにPTAからお金が出るの?」とか、「PTAっていったい何?」というようなことが今はあまり話し合われない。人を確保するために楽しいほうを優先させているから、一番根っこにあるものがわからくなっている。
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学年委員になるとそれを考えると思う。リクレーションのようなものを企画すれば皆が参加する。それでPTA活動が終わったと思ってしまう。本当は問題を投げかけられて、それに対して考えてみるというだけでも有意義になるのに。でも、委員になってしまうと、自分がやらなければならないことをこなすだけで、手段の方が先行してしまう。
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連Pもまさにそうなっている。報告と伝達と、それの繰り返し。何のために連Pの会議に出席しているのか、意味がわからない。
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連Pの会長・副会長というのは、
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今度の県Pの大会が松戸であるので、その準備一色になっている。それとバレーボールの大会は終わったので、後は音楽祭。目的がどこかへ行ってしまっている。
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私が連Pに出ていたときは、給食の食器をポリカーボネートにする話が出ていたときで、環境ホルモンの問題を何人もの人が指摘したのだが、連Pの役員はそれを受け止め切れなかった。何人も発言しているのに、その場での意見交換にならなかった。結局連Pとして何もやらなかった。役員になる人こそ、どうしたら話し合いができるかの積み重ねがないと、どうにもならない。何も役員の回答を求めているわけではないのに、答えようとしてしまう。「他の方はどう考えますか?」と議論を広げてくれればいい。せめてそこで話し合いが深まれば、「じゃあ意見の集約をして教育委員会に届けたらどうか」ということでまとまっていくと思う。話し合いをすればおのずと結論が出てくるはず。
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PTA総会でも、意見が出ると、それに対して会長が答えて終わりとなってしまう。皆で話し合ってほしいと思って意見を言っても、会長との質疑応答になってしまう。運営委員会でも同じ。話し合いができないととても困る。
講師を招き、いじめ問題や学校の教育に関して、勉強会を開きたい
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今PTAでやりたいことがある。学校の体育館などを会場にして、講師を招き、いじめ問題や学校の教育に関して、勉強会を開けたらと思う。これも前例がないので、難しい。今年はもう予算が決まっているので、来年出来たらと思うのですが…。親としての共通の悩みや、知りたいテーマがあるわけだから、そういう場に足を運んで、より交流を深めたり、勉強できたりするのではないか。でも、講演会をすることについて、これ以上本部役員の仕事を増やすのかと反発がある。
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講演会をやるときの反対意見としては、「まず誰が準備するの?」とくる。だから「私たち文化委員会がやります」と答える。次は、「お金かかるでしょう?」とくるから、「5万円でやりますから、文化委員会に5万円の予算ください」と答える。そして「どうせやっても誰も来ない。参加者来なかったらどうするの?」と言う。「30人も来れば上々です」と押し切ります。「参加者少なくても、その講演会の内容を委員会として必ず報告を出すから、会員全体に還元できます」と言って。これが50万円もかけるといったら、押し切れなかったかもしれない。
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まずはお金のかからない学校の先生や、保健の先生・栄養士の先生を講師にして、あるいは市の職員(
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うちのPTAでは、年度初めに「何をやりたいか」という会員アンケートをとります。こういう人を講師にして講演会をしたいという回答が出てきたら、それに向かってゴーサインを出します。
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本部主催もあるし、学年委員会や広報委員会主催もある。会員の学習や研修を行うのは文化委員会だから、文化委員会主催というところが多い。やりたいと思えばいろいろ出来る。有名な人でも趣旨やテーマに共感してくれれば、高額な講師料を出さなくても来てくれる。
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近隣の学校のPTAに呼びかけて、共同で主催をしたこともあった。会場は近隣の公共施設を使って。3校合同でやったので100人以上の参加者があった。
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中学校なら生徒も参加させてもいいし、地域の人にも「一緒に子どもの問題を考えましょう」と呼びかければいい。話を聞くだけではなく、その後小さなグループに分かれて感想や意見交換をすれば、より深まる。そこに地域の人も参加すれば、それこそ本当に地域との連携になる。
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実行委員会形式をとってもいい。役員も委員もしてないけれど、何かやりたいとか、それだったらやってみたいとか、そういう人は必ずいると思う。
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うちのPTAでは、会員向けの研修を運営委員会が主催しています。年度初めは、「PTAとは何?」というようなテーマで。毎年、年2回行っています。それからやはり運営委員会主催で総合懇談会を開催しています。とにかく意見を言う場をいっぱい作るということで、忙しいけれどやってきました。でも、今 意見を言うことがカッタルイという人が増えてきている。
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研修会や懇談会を開催したときに、面倒でも報告やまとめをつくるということが大事。それがあると次につながっていく。こういう話が聞けるんだったら、次は参加しようかなと。実行委員会形式で開催して、まとめをつくるところまでやれば、役員や委員に負担がかからなくて済むのではないか。
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広報委員会がやるのが一番なんだけど。
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仕事を持っている人が多いなら、なおさら期間限定で、これだけはやりますという人が集った方が、しっかりやれるのではないかしら。
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子どもに直接還元するという活動は、いくら参加者が多くても、それはどうかな…。
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子ども向けの行事をやったほうが手っ取り早いんですよね。
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今のように各家庭の経済格差が顕著になってきていると、文化的な環境恵まれない子どもたちもいるから、学校主催で観劇会をすることは意味があるが…。
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子どもたちにいいものを生で見せたいということで、子ども・親・教師・地域が共感することを目標にして行う。親も いいものを見極める力をつけたい。
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研修は、肩肘張ってやらなくても、小さくてもいいから、やったという足跡を残していけば、次につながっていく。その積み重ね。
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他のPTAの人に来てもらって、委員研修で話をしてもらったこともある。その時は、「なぜ他のPTAの話を聞かなくてはいけないのか」という声もあったけど、終わってからはとても良かったという感想が多かった。
今、子どもたちがつらい思いをしている、親もつらい思いをしている
それなのに、PTAが楽しいだけの活動でいいのか
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「PTAって何?」というテーマの松P研の例会に参加して、私自身がとても勉強になった。私の学校はとても古くて、伝統をそのまま受け継いでいるような、そういう意識を持っている会員が多い。他のPTAではこんなことに取り組んでいるというような実例をしてもらえたら、共感を得られると思うし、PTAについての認識が変わっていくと思う。
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そういう意味で松P研という場所はとても必要なところ。流山にはこういう場がない。
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私たちも、それぞれのPTAで、なかなか思うように活動できなくて、気持ちがくじけそうになるとき、松P研に来て、励まされるし、他のPTAの話を聞いて、こんなこともPTAで出来るんだと気づかされるし、いい取り組みがあればそれに学ぶこともできる。そうやって力をもらってきた。
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他の学校のいい事例を聞いても、自分のところでそのまま取り組めるわけではない。今自分のPTAに感じている変なところを、子どもたちや親たちの現状に合わせたい。そういう思いにはきっと共感してもらえる。
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出来る人がどんどん取り組めばいい。取り組めばそれが前例・実績になって、次にやりたいと思う人が出て来た時に、それが突破口になる。即、次の年につながらなくても、必ずつながっていく。
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子どもたちが今、つらい思いをしているし、親もつらい思いをしている人がいっぱいいる。それなのに、PTAが楽しいだけの活動でいいのか。ちょっと苦しくても頑張って、それがよりよい結果につながっていくのなら、やはり頑張るしかない。楽していたら何も変わらない。何かやろうとしたら、つらく面倒なことはいっぱいある。
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出る釘は打たれるけど、出すぎた釘は打たれなくなるんだよ。信念を持ってやっているんだったら、それを貫くこと。同じメンバーで同じ条件でやっていても、どうにもならないことがある。それがある時、突然新しい道が開けるように変わることがある。とにかく続けること。
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PTAって潮の満ちひきようなもの。そこに集っている人で作っていくものだから、満ちたり、引いたり、それは仕方がない。